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震災十五周年とマスコミの報道

2010年1月21日付 中外日報(社説)

阪神・淡路大震災の記憶と教訓を、後世へどう伝えたらよいのか。十五周年の一月十七日朝、NHKラジオ第一放送は、京都大学防災研究所教授・矢守克也さんと女優・瀬戸カトリーヌさんの対談を軸に、長時間の記念番組を組んだ。

矢守教授の専門的な解説に対し、瀬戸さんは十九歳で被災し、一時は芸能活動を断念したと語った。今も機会があれば語り部役をしている。「私に語る資格があるのか」と反問しつつも「聞いてくださる方がいるありがたさ」を述べる口調が印象的だった。

番組の中で、淡路島北部の病院にいた医師についてのリポートが伝えられた。名前を聞き漏らしたが、この医師は、当時の病院の様子をビデオ撮影していた。すべての負傷者を同時に治療することはできないので暗黙の了解のうちに、助かる見込みのある人が優先されたとか。やむを得ない決断だとされた。

その医師は、医師や看護師を対象に、非常時の対応策についての勉強会をたびたび開いているという。教材はこのビデオだ。

外科医がフル回転するのは当然として、眼科や耳鼻科などの医師はどう対応したらよいか、事務職員はどうサポートすべきか。平素から、その心構えを確立しておくべきだ、と。

最初、この勉強会には百人前後の参加者があった。だが最近は、二十人しか集まらない。震災への関心が薄れたためではなく、どの病院も医師不足、看護師不足が進行し、勉強会どころではないのだとか。外電が伝えるハイチの病院の修羅場に、無関心でいられるはずはない……。

さて、節目の十五周年に当たり、新聞各紙もそれぞれ企画記事を掲載したが、その中で震災当時の兵庫県知事、貝原俊民さんの回顧談を伝えた記事にハッとさせられた。

貝原さんは地震発生後、直ちに瓦礫(がれき)を踏んで県庁へ向かい、以後泊まり込みで陣頭指揮に当たった。ところが、ある新聞は「知事は自宅が被害を受けたため、当日は姿を見せず、翌日やっと登庁した。県民には納得しがたい振る舞いだ」と伝えた。

誤報と気付いたその新聞は、翌日の紙面に訂正記事を出すとともに、編集局長が駆け付けて謝罪した。貝原さんは「緊急事態の中、新聞社も情報が錯綜(さくそう)したのでしょう」と寛大だった。

ところで筆者は、この新聞の第一報だけを読んだ記憶がある。翌日の訂正記事を見逃したため、十五年にわたり、貝原さんの行動を誤解し続けていた。

貝原さんは、こうも語っていた。テレビ局のインタビューに長時間応じたのに「最初から設定された筋書きの中に自分の発言が切りばりして使われ、訴えたい内容と全く違うこともあった」とか。それ以後は、一分間必要なら一分間だけ話すようにした、と。

兵庫県だけではなく、神戸市も大変な苦労をした。当時の助役の一人だった小川卓海さんは、市街地復興のプランを練るため、国と折衝し、地権者と交渉を重ね、その間に板挟みの苦労を重ねたらしい。震災から一年余り後の平成八年三月十四日、須磨海岸で焼身自殺した。

当時の市長との間が円滑さを欠いていたのではないかとか、小川さんの死に対し市当局が冷淡だったなどのうわさを聞いたが、マスコミの突っ込んだ報道に接しないまま、歳月が流れてしまった。あるいは小川助役は、六千四百三十五人目の震災の犠牲者だったといえるかもしれない。

このように、十五年を経た今も、震災の実情が充分に伝えられていない面があるのではないか。宗教者の菩薩行についても、何が被災者にとって心の癒やしになったかが語り尽くされていないと思う。報道に当たる者として、他のマスコミとともに反省すべき点は反省したい。