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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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寺の役割が問われる震災十五年

2010年1月7日付 中外日報(社説)

建物を支える柱の一本が弱いと、振動の負荷がその一本に集中する。建築学で応力集中というそうだが、人間社会も同様だ。災害は力のない者に最もひどい仕打ちをする。釈尊が平等を説き、また大乗仏教の本質が菩薩行にあるのなら、普段から「弱い一本」に目を凝らす努力を欠かせないのではないか。阪神・淡路大震災十五周年の節目を迎え、あらためてその思いがめぐる。

「五年余り前、タイ・カンボジア国境のカンボジア難民キャンプ。遠雷のように砲声を聞き、厳しい環境を必死に生きていた難民と出会った時の心の動きと共通するものだ。その時も、冷酷な国際政治の思惑にほんろうされる難民の姿に、人の命のはかなさのようなものを見て、思わず涙ぐんだ」

震災発生当時、神戸で取材活動していた筆者はある月刊誌にそんな文章を書いた。六千四百三十四人もの人々が犠牲になり、十一万棟以上が全壊・全焼した被災の"実相"は、言葉には尽くせない衝撃だった。被災者の多くは老朽家屋に住むお年寄りをはじめいわゆる災害弱者で、生活の再建も遅れた。

この国は一度災難に遭遇すると立ち直りが難しいことも震災の負の教訓の一つだった。以後も絶えることがない大規模災害のたびに同じ構図が再現される。内戦や戦乱で貧しい民衆が苦しむ途上国と、その根は大同小異と言っていい。

そのような社会ゆえになおのこと、失意に沈む被災者の心の支えともなる宗教界からの支援は、掛け替えのないものになる。震災の時には、各宗派の教団による全国的な救援活動が活発に行なわれた。もっと広く知られてもいい事実だ。ただそれが、一過性で終わっては物足りない。

冒頭述べたように宗教界が日常的に社会とかかわるよう求める声が近年、高まりつつあると聞く。欧米が発生源で時折耳にもする「エンゲージド・ブディズム」、つまり社会参加仏教の運動もその流れに沿うもののようだ。ともあれ「利他」に通ずる活動を進める場合、カギを握るのは地域に根を張る寺院の存在ではないだろうか。

一つ事例を紹介したい。

震災で大きな被害を受け、再建された芦屋市の浄土真宗寺院・西法寺には門も垣根もない。「寺は困っている人のためにある。誰もが入りやすいように」という前住職の考えからだ。

震度7の揺れで庫裏が全壊し、住職一家は傾いた本堂で約七十人の避難住民と共に暮らした。教団などから運ばれた三十本ものドラム缶を活用して仮設の風呂を沸かし、毎日三百人以上の住民が利用した。在留外国人には境内の公衆電話を自由に使わせた。「苦」を被災者と分かち合い、地域の復興にようやくめどが付いた八年後に再建にこぎ着けた。

「お釈迦さまのお話、親鸞聖人のお話など、寺には生きるためのヒントがいっぱい詰まっている。死んでからではなく、元気なうちに寺に行け」。宗派のこだわりなく、そう地域住民らに話していた住職は二年前に事故で急死、娘婿が継いだ。前住職の妻で副住職の上原照子さんは遺志を守って、悩みを抱える人々への電話相談などさまざまな社会活動を続け、寺に人が来るようにと日々奮闘している。

震災で芦屋市では四百四十人余が亡くなった。同寺の本堂屋上にはドラム缶の「追悼の鐘」がつるされ、毎年一月十七日に多くの住民も参加し、鎮魂の鐘として打ち鳴らされる。

「十五年が過ぎると、震災体験の風化が一段と進むはず。だから、学校の十倍の数があるともいう全国の宗教施設がネットワークを組み、災害で失われる命を一人でも減らす備えができないものか、と」

それが上原さんの願いだが、示唆に富む内容を含んでいるように思う。