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歴史から学び新たな社会のモデル創出を

2010年1月3日付 中外日報(社説)

今年、奈良は「平城遷都千三百年」を迎えた。和銅三年(七一〇)、日本の首都が藤原京から平城京に移って千三百年。それを祝って、さまざまな行事が開催されるという。

会期一年の千三百年祭そのものより、マスコット・キャラクター「せんとくん」の人気ばかりが目立つが、それはさて、本説では、そういうイベントから一歩退いたところから、日本千三百年の問題点を考えてみたい。

その前の飛鳥時代もあるけれど、日本が実質的な国として、体裁を整えたのが奈良時代だといってよい。つまり、平城遷都千三百年はそのまま日本千三百年でもあるのだ。

わが国はその昔、唐へしばしば使節を派遣した。遣唐使は常に四艘の船で危険な外洋を行き来したので、「死の船」などといわれもした。つまり、それくらい決死の覚悟で、唐の進んだ文化を果敢に導入したわけだ。

そういう唐からの帰国船が、九州から瀬戸内海を航行、難波津に着く。――と、その情報はほとんどリアルタイムで平城京の貴族たちの耳に達した。彼らは舶載された珍しい品々を求めるべく、家士たちを難波津に急行させたという。正倉院の記録にある。

そのずっと後の世、私たちはついに先進国になったが、それでも海の向こうへのあこがれは手放し難く、いまだに海外ブランドに心を揺り動かされている。そして、例えば、書店にズラリと並ぶ雑誌の名前の多くが横文字であり、市販薬に至っては、怪しげな英語風ネーミングだ。

こうした風潮を揶揄するのは簡単だが、奈良時代に唐をお手本に律令国家を目指してからというもの、その後、重大な節目を迎えると、目は海外に向けられた。ほぼ百四十年前、日本は近代国家を目指し中央集権国家をつくり上げたが、時の政府は、そのモデルを欧州に求めて、岩倉使節団を派遣している。

その延長線上にあった自民党政権は、もはや行政システムが制度疲労しているにもかかわらず、小手先の改革に終始。あるいは、未来の子孫たちからほとんど無定見に借金しまくったから、さすがの選挙民もついに、――このままだったらタイヘンなことになる、と自民党を政権の座から追いやった。

長期政権の下、さまざまな分野で無残な状況が露呈した。国土面積の狭小から一極集中はやむを得ない面があるものの、それにしても地方の疲弊した惨状。あるいは、朝令暮改的に制度をいじりまくってきた教育などは、その好例だ。

そして去夏――。ついに政権交代が実現し、民主党による新政権が誕生した。権力とは時を経れば腐敗する。早くも支持率低下が指摘されているとはいえ、有権者の選択は歓迎したい。が、政権交代が現実味を帯びてきたころ、実は、民主党が英国政権運営調査団を派遣している。やはり、改革のお手本が海外に求められたのだ。

よそ様のやり方を参考にするというのだろうが、千三百年の歴史は一体何だったのかと言いたくなる。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といわれるが、賢愚はともかく、学ぶ意義は、そこから何ものかを創出していくことであろう。

学んで何ものかを創出するのは、地道な努力はもとより時間もかかる。――そんなヒマがあるか。と、ばかりに海外に飛び出し、よそ様のやり方の、しかも都合のいいところだけを借用する手法は、もうそろそろ見直した方がよい。

輸血の血液はあくまでも短期の補欠用、一方、自らつくり出した血液は長持ちするという。つまり、借りてきたものは身につかないのだ。行政は喫緊の問題だが、海外モデルばかりに気を取られるのでなく、この際、じっくり腰を落ち着けて、むしろ海外にもアピールできるような独自モデルの創出を志したいではないか。

それが平城遷都千三百年、否、日本千三百年の意義というものではないだろうか。