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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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課題にじっくり向かいあう姿勢

2009年12月24日付 中外日報(社説)

今年の正月三が日の主要な神社仏閣への初詣で参拝者数は、警視庁発表で九千九百三十九万人であった。神仏への祈願は不況とともに強まったのであろうか。一年を経て、年の瀬の十二月十一日には、清水寺の森清範貫主が(財)日本漢字能力検定協会の公募で選ばれた「今年の漢字」を、大きな和紙に揮毫した。それは「新」という文字であった。確かに宗教界にも新しい局面が幾つか姿を見せた。

五月に宗教法人「幸福の科学」が幸福実現党を結成したことは、その一つだ。宗教界のみならず、日本社会にとっても大きなニュースだったといえる。同党は七月の都議選に十人の候補者を擁立した。続いて、八月三十日開票の第四十五回衆議院選挙に、小選挙区、比例区合わせて三百三十七人の立候補者を擁立した。このことで、政治と宗教の問題にあらためて焦点が当てられることとなった。

いずれの選挙でも、候補者全員が落選したことによって、議論はあまり本格化しなかったが、来年の参議院選挙に同党が多数の候補者を擁立すれば、議論が再燃する可能性がある。

裁判員制度のスタートも、宗教界に少なからぬ波紋を投げ掛けた。新聞各紙も宗教界の意見に関心を抱いたようだが、全体としては宗派あるいは教団としての特別な対応をしない傾向が強かった。

そうした中で、特に明確な方針を打ち出したのはカトリックである。日本カトリック司教協議会が、国内約六千七百人のカトリックの聖職者に関しては、裁判員を辞退させる方針を決めたが、九月にはこれについての理解を求める文書を、最高裁に提出した。一般社会の法律に従って裁きを受ける人間を前にして、宗教家は特別な立場を主張できるのか。ゆっくりとではあっても、深く考えるべき問題である。

仏教界では道元の生涯を描いた映画「禅 ZEN」が公開されたが、人々の関心は、納棺師の姿を描いた映画「おくりびと」に集まった。公開は平成二十年であったが、今年二月に第八十一回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことで、がぜん注目がなされた。葬儀の場面に宗教家の姿がほとんど介在しないこの映画のヒットは、特に僧侶にある問い掛けをしていると考えるべきであろう。

七月五日には石原裕次郎の二十三回忌法要が、東京都新宿区の国立競技場で行なわれ、約十一万七千人が参列した。この法要に際して、国立競技場には臨時に裕次郎寺が建立され、曹洞宗総持寺から釈迦坐像が持ち込まれ、本尊とされた。当日は曹洞宗の僧侶百二十人が読経したことも話題になった。

総持寺で行なうと近隣の迷惑になるということで、このような手段が取られたわけだが、いわばイベントの脇役となった僧侶のあり方も、仏教の今後を考える上で議論の対象としてよさそうだ。

ヨーロッパでは、イスラーム問題はかなり深刻になってきているのだが、日本ではまだそれほど深刻ではない。ムスリムの数がヨーロッパとはけた違いに少ないからである。とはいえ、少しずつだが、ムスリムは確実に増加している。四月に九州初の本格的なモスク「福岡マスジド」が福岡市東区に完成したことは、日本社会に根を下ろすムスリムが増える傾向を象徴する出来事である。

イスラームと聞くと、まずテロを連想する人も少なくないのだが、そうした負のレッテルが日本社会に刷り込まれないように、宗教界もどのようなことをなすべきか、具体的に考える時がやって来ている。

情報化の問題は今更の感じがするかもしれないが、世界的に見ても、情報化が宗教に与える影響力は具体的な形を取り始めている。一月にバチカンがインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ(You tube)」に、公式チャンネルを開設すると発表したことは、なかなか興味深い話題である。これはバチカンテレビセンターとバチカン放送が、ユーチューブと提携して実現したものである。日本の宗教界はあまり重視しなかったようだが、このことが持つ意味を遠からず実感することになろう。

これら一つ一つは、大事件とまでは言えないだろうが、宗教界にとってかなりの難問が幾つか目前に迫ってきている。見て見ぬふりでは、宗教家と一般社会との距離は遠ざかるだけである。小さく見えることでも、じっくりと考えていく姿勢をしっかり持たねばなるまい。