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ムダを抱える余裕合理性追求の陥穽

2009年11月28日付 中外日報(社説)

「必要悪」という言葉がある。ちなみに、「必要」という語自体、『広辞苑』(第五版)によれば、幕末・明治期につくられたものだという。

そんなに新しい言葉だったのかといささか驚きだが、それはともかく、「必要悪」というのも、だからうんと新しいわけだ。同辞典には、――悪ではあるが、社会の現状からいって、それが(やむを得ず)必要とされるような事柄、と説明されている。

人間界における善悪の問題は、切れ味よく一刀両断というわけにはいかない。人間は矛盾同居の複雑怪奇だから、それもやむを得まい。『菜根譚』も、悪中の善路・善処の悪根ということを指摘している。私たちの善悪は、実に微妙なのだ。

心の中にも、そして、世の中にも善悪が混在しており、私たちはそういう善悪の隘路を、なるべく悪の方に落ちないように用心深く行くよりほかない。

もとより悪はいけないが、これを別の角度から見れば、善なるものを鍛えるというか善の覚醒にとっては、ある種の悪が想定されなければならない。そういう意味での、必要悪もあるだろう。善悪の分別(ぶんべつ)は、思うほど単純な作業ではない。

私たちの社会は昨今、ムダの洗い出しに躍起である。余剰人員はムダだとばかり、大企業はびっくりするような冷酷さで削減したことは記憶に新しい。そして今、民主党政権による、必要喫緊の事業と不要不急の事業との仕分けが行なわれている。

そうとう困難な作業と思われるが、それを一件一時間でやろうというのだからタイヘンだ。いくら政権交代したからといってもいささか乱暴な話で、こんな性急にして視野の狭い議論では、五十年先・百年先を見据えた必要な事業が、なかなか理解が得られないのではないかと心配する。もっとも、そういう長期ビジョンに立った政策・事業があれば、の話だが。

ムダといえば、働き者の蟻の集団にも、二割程度の怠け者がいるという有名な話を思い出す。いわく、その二割を除外してみると、残りの集団もまた、二割が怠けるというのだ。この伝で、二割二割と除いていけば、――そして、誰もいなくなった。ということになるから、元も子もない。

こんなことをいえば、そういうものと税金という公金のムダ遣いとをゴチャマゼにしてはいけない、という声が聞こえてきそうだ。しかしムダを省くというのは、実はかなり危険な要素を含む作業でもあるということを知るべきであろう。

ムダを省いて合理的に社会を運営する。というのは聞こえはいいが、そうした合理性一辺倒の明るさの向こうに、暗雲が見え隠れする。人間社会というか、いのちあるものたちの社会は、ある種のムダをかかえることによって、初めて円満に成り立つものだからである。

想い起こしてもみよ。抗菌グッズが蔓延し実に清潔な世の中だが、その一方で、各種のアレルギーに悩む人の多さには驚かされる。それはいまや社会問題でもある。

世の中のムダ排除に血道を上げ、あまりに清廉潔白に対処すれば、行き着く先はギスギスした社会だ。あるいは、うっかりしていると、――お前はムダだ、とばかりに排除の対象になりかねない。そんな恐怖に満ちた社会もほの見える。

先に取り上げた『菜根譚』には、――錯(まじ)り集り文(あや)を成す、という文言もある。多様性を尊重し、一見ムダなものをも大きく受けとめ内包し、円満な社会を模索したいではないか。