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編集局長の目が届かないページ

2009年11月10日付 中外日報(社説)

先日のA新聞短歌欄に、イチロー選手の大リーグ新記録を称賛する作品が、入選作として掲載された。歌の実物を示さないと分かりにくいが、要は一世紀ぶりに「9年連続2000本安打」を放ったのは素晴らしい、との内容である。

率直に言って、その作品は、スポーツの記録をそのまま短歌のリズムに乗せただけで、詩情に乏しく、短歌仲間でいう「報告」調のものだった。必ずしも上出来と言えない作品が紙面を飾ったのは、たまたまその週、ほかに優れた作品がなかったためだろう。

それはともかく、ちょっと待てよ。大リーグとはいえ、一シーズンに二千本もヒットを打つ選手がいるだろうか。一人の選手が一シーズンに打席に立つ回数が四ケタに達することはないはずである。「2000本安打」は「200本安打」の誤りだ。

作者は、イチロー選手がまず大リーグで通算二千本安打を記録し、その直後に九年連続二百本安打という一世紀ぶりの新記録を作ったことを混同してしまったのではないか。選者もうっかりしていたのだろうが、社内の編集者や校閲者が目を光らせていれば、見つかっただろうに。

B新聞の歌壇には、二週続いて、一首の中に新かなと旧かなを混用した作品が入選した。選者は、地位高い人々に作歌の指導をしたことのある、短歌界の大御所だ。C新聞の場合はやはり二週続いて、文法を間違えた短歌がトップ入選していた。この選者も、B新聞の選者と並び称される有力歌人である。文法にも仮名遣いにも厳しい御両所が、なんでこんな誤りを見逃したのだろうか。

「下請けに出したからでは?」と解説する人があった。もともと選者は、直弟子の指導や結社誌の作品の選だけで手いっぱい。だから新聞社に頼まれた選歌は古参の弟子に任せ、自分の名で紙面に載せる。これが下請けである。その弟子が間違えると、そのまま通ってしまう。

新聞社には校閲部があるでしょう、と言うと、ある結社の代表が説明してくれた。「今の新聞社には、短歌や俳句に通じた記者や校閲者がほとんどいません。新聞記事は新かな、常用漢字を主体に書かれるから、旧かな、旧字体や文語文法に慣れていない。それに俳句や短歌は、特殊な文字や表現を用いるケースもあります。だから歌俳欄の校閲作業は選者任せ――いわゆる著者校(著者の意のままに校正すること)状態の社が多いらしい」

でも学芸部や文化部には歌俳欄を掌握する専門記者がいるはずだが、と質問すると、別の俳句選者が苦笑した。「だめ、だめ。専門の編集委員が、しょっちゅう電話をかけて来ますよ。先生、この文法表現は正しいかどうか、教えてください、と言って」

最初に記した、イチロー選手に関する歌も、もしほかのニュース面に登場していたら、社内の誰かが気付いて、直していたに違いない。その一方で、どの新聞にも編集局長の力の及ばないスペースがあるとするなら、割り切れぬ思いがしないでもない。

ある俳句欄選者は言う。「多くの新聞に歌壇、俳壇という開かれた発表の場があるのは、日本独自の文化です。投稿者がいて、選者がいて、読者がいる。その場を提供するところにメディアとしての新聞の存在意義の一つがあると思います」

紙面に採られた作品は優れていて、その文字表現は正しいと信じられがちだ。歌俳欄の間違いがまかり通ると、そこから日本語表記の乱れが幅を広げることになりかねない。「言霊の幸(さき)わう国」が、これでよいのか。

寺院や神社の機関紙・誌には歌俳のページを設けているものがある。そこを足場に、正しい国語表記の普及はできないか。寺子屋の伝統を生かして……。