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脳科学の問いかけ

2009年11月5日付 中外日報(社説)

ここ十年ほどで、脳科学、進化心理学といった分野は急速な展開を示している。fMRI(機能的脳磁気共鳴画像)、COE(脳酸素交換機能マッピング)、PET(陽電子放出撮影法)など、脳の働きを調べるための新しい技術が次々に開発されてきている。そして、脳波を読み取って、体の不自由な人が念じるだけで動く車いすが開発されつつある。

遺伝子の解明も進み、ヒトゲノムの解読は、予想より早く二〇〇三年に「解読完了」が宣言された。ヒトの遺伝子は約二万二千個である。ヒトのDNAを構成する約三十億個の塩基から、これだけの遺伝子が確定されたのである。ワトソンとクリックによる二重らせんの発見から半世紀後のことであった。ヒトの体がどのような歴史を持っているかが、今までとは違ったやり方で研究されるようになった。

こうした研究の急速な発展の下支えとなっているのは、言うまでもなくコンピューター技術の進歩である。膨大な計算が極めて短期間で行なえるようになったことで、従来は不可能と思われていたような事柄への研究が果敢になされるようになった。脳科学もその一つである。大脳皮質だけで約百四十億の細胞があるとされる極めて複雑な脳の働きが、どんどん細かくシミュレーションされるようになってきた。

進化心理学は、進化の過程が脳にどう組み込まれているかを推測する。人間の脳のいわば動物的部分と理性的な部分が、極めて複雑に絡み合っており、今なお、動物的な思考と行動は、強い力を持っていることを再確認させてくれる。

こうした分野の研究が進むと、必然的に「こころの問題」にも新たな問いかけがなされることになる。なぜ人間はそのように考え、そのように行動するかについての説明をいろいろと提供するからである。そしてその問いかけの先は宗教にも及んでくることになる。

時に問いかけは強い反宗教的色彩を帯びることもある。神秘体験のようなものも、「脱神秘化」されたりする。神や仏といった、宗教者には当然の概念にも、ゼロベースからの検討が加わり得る。

遺伝子研究では必ず名前が登場すると言ってよいリチャード・ドーキンスは、宗教に極めて批判的なことでも知られる。『悪魔に仕える牧師』『神は妄想である』などの近刊があるが、タイトルからも分かるように、宗教否定といっていい立場からの記述がなされている。パワーアップした唯物論の登場というふうに理解できなくもない。

神や仏の存在やイメージ、あるいはそれらが人間の心に占める働きというものについて、脳科学などからの説明が試みられるようになった時代に、宗教研究者や宗教家はどのような立場を取り得るであろうか。無視するという人もあろう。「別の次元の話である」と、切り離して考えることもできるだろう。

しかしながら、それらの学術的成果を参照しなければならないとすると、課題はすこぶる過酷なものである。脳の研究が進めば進むほど、人間の知覚と認知のメカニズムが極めて複雑なものであることが、ますます明らかになってきている。無意識的知覚あるいは判断というものの重要性もあらためて認識されている。そして、知性がなぜ情動に負けてしまうのか、人間はなぜ根拠のないものを確信するのか。集団になると合理的な思考が難しくなるのはなぜか。そうした理由についても、いくつか理論が提起されている。

こうした知見を宗教研究者が、宗教的な思考や行動を理解する際に参考にしようとすると、どうなるか。あるいは宗教家が自らの言動を省みたりする上で参考にするとなると、どうなるか。これまでの常識を変えなくてはいけない場面も出現するかもしれない。

それでもこうした分野の研究者が取り組んでいる問題に注意を払うことはもはや避け得ないと考えるべきだろう。宗教は特別な領域の話であると論じても、これを疑問なく受け入れる人は少なくなりつつある事実は否定できないからだ。