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いのちの尊さと生命倫理の問題

2009年10月27日付 中外日報(社説)

今年七月、脳死・臓器移植法改正案が成立した。脳死は人の死であることとし、脳死と判定された場合、本人か家族が拒否の意思表示をしない限り、臓器を取り出し、臓器移植の希望者に提供できるようになった。従来はできなかった脳死とされる子どもからの臓器移植も可能になった。

臓器移植を待ち望む患者や家族には喜ばしい知らせだろうが、人のいのちを尊ぶ健全な医療の発展という点から問題があるとの批判が強かった。人文社会科学系統の学者の間では反対の声が大きく、宗教界からも批判が優勢だったようだ。

振り返ると日本の宗教界は脳死・臓器移植問題に長期にわたって取り組み続けてきたことが分かる。教派神道系の大本では独自の検討を踏まえて、平成三年に「脳死を『人の死』とすることに反対する声明」を出していた。日本印度学仏教学会では、学会内に生命倫理委員会を設け検討を進めたが、翌四年実施のアンケートでは、意見が二つに割れていたことが分かる。

この年には、臨時脳死及び臓器移植調査会が答申を提出し、マスコミもこの問題をめぐって頻繁に報道した。その間に脳死・臓器移植問題は国民的な論題となっており、宗教界もそれなりの応答を迫られていたといえる。

平成九年には脳死・臓器移植法が成立したが、これは脳死を一律に人の死とは認めないという前提にのっとった内容で、世界でも独自のものとなった。このように独自の考え方が有力である理由に、日本人の死生観がかかわっているのは明らかである。宗教界がこの問題に積極的にかかわる姿勢を持ってきたのは当然だろう。

脳死・臓器移植法が成立した後も、宗教諸教団は脳死臓器移植問題への取り組みを続けており、日本宗教連盟ではこれまで七回にわたってシンポジウムなど、この問題についての公開討議の場を設けてきている。

しかし、重要な生命倫理問題は、脳死・臓器移植問題だけではない。安楽死・尊厳死を認めるべきだという考え方もあり、法案提出を目指す国会議員もいる。代理出産を是とすべきかどうかも重い問題だ。世論調査では是とする意見が比較的多く出るが、これはどこに問題があるかがよく知られた上での反応というよりも、国会議員やタレント等のマスコミを通しての訴えが強く影響しているのではないかと疑われる。

どのような子どもを産むか選ぶことができる着床前診断を進めようとする医師もいる。障害者を生まないために体外受精により遺伝子検査をしてから受精卵を子宮に着床させようというものだ。男女の産み分けや、特定の能力のある子を産むために用いることもできる。これをどんどん進めてよいものだろうか。

これらは生命科学や医療技術が発達したために、生命操作が可能となったことで生じている問題の代表的なものだ。

脳死・臓器移植問題だけではない。現代の医療や生命科学において、尊いいのちを脅かすように感じられる問題が噴出している。これは健康や生活福祉にかかわる活動が社会生活に占める割合がますます高まっていること、それにかかる費用の削減が強く求められるとともにそこから得られる収益に大きな期待がかけられていること、そして医療や生命科学が人々の生活の形態や価値観に強く影響を及ぼすようになっていることによる。

いのちの尊さを訴え続けてきた宗教界は、これらの生命倫理問題への取り組みを強めるとともに、「いのちの尊さ」ということの意味をあらためて問い直していくべき時である。