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「記者クラブ」の姿勢が問われる

2009年10月22日付 中外日報(社説)

北法相宗大本山清水寺のお坊さんは、昭和五十八年(一九八三)の初め、悲鳴を上げていた。数え年百八歳の大西良慶管長(貫主)の体調不良が伝えられたからだ。各報道機関から、締め切り時間ごとに病状を確認する電話がかかる。寺中の電話が一斉に鳴ることも珍しくない。

幸い、京都には「京都宗教記者会」という記者クラブがある。気心知った記者らに向け、寺側が申し入れた。「病状に変化があったら、直ちに当方から幹事社にお知らせする。記者会は連絡ルートを決めて、順送りに伝達する体制をとっていただけないか」

各社幹部の了承を得て、全国まれに見る「緊急連絡網」が成立した。この連絡網は現在も生きていて、清水寺だけでなく、京都の寺社が全報道機関に緊急に知らせたい事項の伝達に活用されている。

なお「大西管長遷化」の第一報が連絡網を通じて流れたのは、その年二月十五日の早朝だった。

さて、今回の政権交代では記者クラブのあり方が問われている。目に留まった二つの事例を挙げる。

新政権の亀井静香・郵政改革担当兼金融大臣が唐突に中小企業の借金返済猶予(モラトリアム)を打ち出し波紋を呼んだ。ある総合週刊誌の「直撃インタビュー」記事で、大臣は「金融界には返済猶予への批判が強い」との同誌の質問に関連し「この前の(記者)会見で"お前(返済猶予に否定的な記者)は銀行協会詰めの記者か"と問い詰めてやったら黙り込んだ」と得意気に語っている。

「金融担当記者は金融業界の利益代弁者」と決め付けたものだ。

もう一つは民主党幹事長・小沢一郎氏の発言。同党圧勝の直後、政権公約実行のための財源を問い質す記者団の質問に「君らは財源がない、財源がないと言うが、それは霞が関の役人が言っていることだろう」と一蹴していた。中央省庁の記者クラブの記者は、官僚の言い分を刷り込まれて話にならない。小沢氏の態度を意訳するとそうなる。

共にメディアの記者にとって、自らのジャーナリズム性を否定される屈辱的な内容をはらんでいた。視点を変えると記者クラブに潜む弊害を端的に突かれたことは否定できない。

そもそも日本のような記者クラブ制度は世界でほとんど例がなく、少なくとも先進国には見ない存在とされる。問題は、なぜ記者クラブが日本で発展したのかであろう。明治二十三年、旧憲法下の第一回帝国議会召集の際「議会の取材を認めろ」という新聞界の運動で「共同新聞記者倶楽部」ができた。これが記者クラブ第一号で、今の国会記者会という。

今もメディア界は、記者クラブ必要論の一番に秘密主義体質の当局に報道機関が結束して情報公開を迫る場だと強調する。だが、記者クラブが当局と癒着し、その代弁者になり果ててしまっては存在理由を根底から失ってしまう。

記者クラブには大手メディアによる情報カルテルという批判も根強い。構成員が日本新聞協会加盟社(新聞、放送、通信計百三十七社)にほぼ限られ、近年多少改善されたとはいえ、依然、排他的だからだ。クラブをオープンにしようと改革を試みた自治体首長らの中で、記者出身の元鎌倉市長は「クラブの記者は養殖アユ」と言ってのけた。記者クラブに入り浸って当局から餌(記事)を与えられるから身が締まらず味も悪いということだ。ジャーナリストの故・筑紫哲也氏も記者クラブを批判し続けた一人だった。

政権交代という歴史の大転換期を迎え、記者クラブは目線の修正を迫られているのではないか。批判精神が記者の生命であることを再確認したい。今こそ社の垣根を越えた緊急連絡網を張り巡らせて、記者クラブのあり方を論じ合ってもよいのではないか。