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統計で計れない万人の死の重み

2009年9月17日付 中外日報(社説)

「九〇人以上が自死しないと、この国の一日は終わらない」と、自殺予防に奔走するNPOが事態の深刻さを訴えている。すでに十一年連続で自殺者が三万人を超え今年はさらに悪化、過去最悪になりそうだという。自殺予防週間(十日~十六日)に寄せて仏教界でも真剣な取り組みがなされた。昨今の自死急増は不況が大きな要因だが、心の側面も重要。宗教界独自の持続的な対応が欠かせない。

日本は人口比の自殺者が世界で一、二番という"自殺大国"だ。自ら死を選ぶ理由について、統計上はうつ病が最も多く、次いで病気の悩み、負債などが上位に並ぶ。しかし、そもそも人の心を数字で表わすことに無理がありはしないか。単に「うつ病」とくくってしまっては、そこに至る一人一人の人生の軌跡が見えてこない。自死は多くの場合、複数の要因が複雑に絡み、その事情は人によって異なる。うつ病は事業や就職の失敗、職場の人間関係やいじめなどに起因することが少なくないとされる。

実社会のありようや個々の人間模様が統計の数字には秘められており、それを読み解かないとデータが生かされない。筆者は、記者時代にそう教えられた。

例えば警察庁統計による昨年一年間の自殺者三万二二四九人を詳しく見ると、十月が三○九二人で月別では年間を通して最も多く、最近十年間では例を見ない現象だという。世界的な経済危機が加速した昨年九月の米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破たんとの関係が指摘されている。マネーゲームの犠牲と言っても差し支えない。

年齢別では中高年齢層が高止まりのまま推移した半面、三十歳代の自殺四八五○人は統計を取り始めた昭和五十三年以降では最多だった。三十代は非正規雇用が多い世代だ。派遣切り、再就職難などでの生活苦や人生に絶望しての自死という姿が浮かび上がる。

今年の自殺者数は半年間に一万七○七六人で一日平均九〇人以上。例年になくペースが速く、不況の影響が深刻な地域での増加が目立つという。

「一人の死は悲劇だが、万人の死は統計的数値」といわれることがある。偽悪的な言葉ではなく、特定の原因による人の死が何万人にもなると、一人一人の死の痛みを共有することが困難になるという趣旨だ。自死がそうであってはならないのは言うまでもない。

特に近年は職場での能力主義、効率主義の徹底で労働環境が一段と過酷さを加え、働く人々が精神的に追い詰められているといわれる。市場競争の激化がもたらしたものだ。それに伴い自己責任という言葉をよく聞くが、競争からふるい落とされ自死に向かう人々を自己責任と片付けるような社会が健全であるとは思えない。「和」を尊ぶ日本人の精神風土にも本来なじむものではないはずだ。

行き過ぎた市場至上主義による格差社会とセーフティーネットの再構築が争点の一つだった先日の総選挙期間中、次のような株式市場関係者の談話が報道されていた。

「日本の投資家には(略)未知なる政権への不安や不信感も強い」「世界的な金融危機を経て立ち直り半ばの今『お試し政権』に任せてよいのだろうか」

投資家が金をもうけるために政権交代は困る、というあからさまな主張に苦笑してしまったが、マネーゲーム社会の一端も見せてくれた。競争にあえぐ人々への気配り、思いやりは微塵もうかがえない。

自死は、人々に希望を失わせる社会の精神病理を映し出している。残された家族や周辺の人々が深刻な打撃を受けてもいる。これに関しては、葬儀での一部宗教者の振る舞いが、家族らをさらに苦しめるという話も耳にする。これもまた検証すべき問題だ。

衆生を救う仏教界は特に、さまざまな懸案が山積しているように思う。