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基本的人権理念を支える宗教的感覚

2009年9月12日付 中外日報(社説)

宗教は理念を生む。もしこれが社会の必要と一致すれば、理念は宗教から離れて社会を方向付ける働きを発揮する。言い換えれば理念は「世俗化」して政治・法律・経済を動かすのである。しかし世俗化した理念は集団的・個人的利己主義と結び付き、ひいては魅力を失ってゆくものだ。

マックス・ウェーバーによれば、かつてカルヴァン派のプロテスタントは、自分たちが救われていることを確認するため禁欲的勤労に励み、これが資本の蓄積を可能として資本主義の成立に寄与したという。しかし現在明らかなように、いったん資本主義が成立すれば資本の増大は宗教的動機付けから離れて自己目的化し、格差増大や市場原理乱用をもたらすのである。

近代社会の重要な理念である基本的人権の成立にも似たような事情がある。英国国教会は十六世紀に国王ヘンリー八世の結婚問題と絡んで教皇の支配から独立したので、プロテスタントとしては変則的な仕方で成立したが、十七世紀にこの宗教改革を不徹底と見なした清教徒(ピューリタン)運動が起こった。ピューリタンは王権神授説に反対し、王の専制に対する国民の権利を主張した。この戦いの中から基本的人権や民主主義というような近代的理念が生まれてくる。

さて国教会から圧迫されたピューリタンの一派はアメリカに渡り、独立と建国という次第となった。アメリカの独立宣言(一七七六年)に見られる建国の理念には人権思想が明瞭に語られている。

すべての人間は平等に創られ、神によって不可譲の権利を与えられている。それは生きる権利、自由の権利、幸福追求の権利であって、政府はこれらの権利を確保するために存在する。政府の権力は被統治者の同意に基づくもので、政府がこの目的から外れるとき、人民は新しい政府を組織する権利を有する、という。

この宣言はフランス革命(一七八九年)の人権宣言(自由、平等、国民主権、財産・安全の保障、圧制に対する反抗の権利など)にも影響を与えている。一般に近代的社会理念というと、社会契約説、身柄の安全と財産の保障、自由、平等、政治への参与、民主主義などが含まれているが、これらはキリスト教的背景を持つもので、キリスト教が生んだとまではいえないとしても、キリスト教なしには成り立ち得ないものであった。

自由はイギリスの古典派経済学において経済と結び付く。自由経済、自由市場原理の登場である。イギリスの古典派経済学はもはや宗教的ではないが、倫理的ではあった。しかし資本主義はいったん成立すると自律的になる。「自由」は世俗化して経済を方向付ける理念となったのである。

だが、自由競争は格差を生む。そのからくりを分析したのはカール・マルクスで、彼は革命による権力奪取と生産手段の公有化を説いた。それはロシアをはじめ東欧、さらには中国の共産主義化をもたらしたのだが、ここでの中心的理念は自由ではなく平等であった。しかし、計画・統制経済は経済活動の不活性化を招いた。二十世紀末に共産主義諸国が市場原理を導入せざるを得なくなったことはまだ記憶に新しい。

他方、ライバルを倒した自由経済は歯止めを失って金融市場の暴走を招き、「百年に一度」の不況を招いたことも周知の事実である。「小さな政府」どころか主要国の政府が連携して金融市場を監視するという話まで出ている。

ところでこのほど政権を取った民主党の理念は「友愛」である。これは自由、平等、友愛(しばしば博愛と訳されるが実は友愛)というフランス革命の三理念から取られたようだ。自由と平等を重んじながら「友愛」による人間的紐帯をつくるということだろうか。

そもそも理念が集団的・個人的エゴイズムの仮面とならないためには、根本にある宗教的感覚を活性化する必要がある。実際、基本的人権の根本には神とともにある人格の尊厳の感覚があった。

この感覚は一切衆生悉有仏性という認識からも充分に成り立ち得るはずのものである。ここに含まれる、人間だけに限定しない「生命の尊厳」という感覚は、実は現代には不可欠のものであると考えられる。