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大きな足跡残し牧教授は去った

2009年8月22日付 中外日報(社説)

足かけ十年間。カルテの上では、凄絶な闘病の日々が続いていたのに、絶えずほほ笑みを浮かべ、自然法爾の心で生き抜いた学者がいた。大阪芸術大学(大阪府河南町)の牧泉(まき・いずみ)教授=化学と情報処理の講座を担当=だ。同じ病気の人々に希望を与え続けた人生を、牧教授は六月二十六日に終えた。享年六十歳だった。

牧教授は、平成十九年十月、声帯切除の手術を受けることになった。声を失うと、二度と教壇へは戻れない。そこへ朗報が届いた。東京の通信機器専門会社の沖電気工業が、音声合成ソフト「ポルックスター」の開発に成功したという。ソフトの要点は――。

手術の前に、自分の肉声で単語や短文を吹き込んでおく。パソコンのキーをたたけば、その音声が合成されて、声帯を失う前と同じ会話を再生することができる仕組みだ。

その手術から半年後の昨年四月中旬、牧教授は約六十人の学生を前に「情報処理概論Ⅰ」を開講した。キーボードを打つと、滑らかな肉声がスピーカーから流れ出す。従来の振動式や食道式の発声と違って、ごく自然に聞こえる。

それ以来、牧教授の講義ぶりは、医学界や通信機器業界の注目を集めた。声帯に病を持つ人々にも希望を与えた。だが講義は今年五月、二年目に入った時点で中断した。再発の兆候が表われたため、抗がん剤治療を受けていたが、一ヵ月後に死去した。葬儀は近親者だけで営まれたため、筆者もつい先日、訃報を受けた。浄土宗の僧侶から授けられた戒名は「理覺教道信士」だった。

平成十八年十月七日付本欄に記したように、牧教授が初めてのどに違和感を覚えたのは、平成十二年である。その年の十一月に入院した大阪市立大学病院では「下咽頭がんだが、手遅れで手術はできない。放射線治療をします」と診断された。緊急処置として、のどと胃にパイプを通した。

翌年三月に退院する時、医師の一部は「すぐ再発するのではないか。余命は三ヵ月」とみていた。

その直後に牧教授は、大阪府富田林市のパーフェクトリバティー(PL)教団関連の団体が開いた医療の勉強会で講演を頼まれた。演題は「余命三ヵ月の方が心境を語られます」。講演は二回に及んだ。

退院する前にも、市大病院の看護師たちの勉強会の席で、自分の死生観を語っている。こうした講演活動が良い刺激になったのか、三ヵ月しかないはずの余命が、一年また一年と延び、牧教授は教壇に復帰することができた。

看護師への講演の際、牧教授は「神様とも呼ぶべき何かが、熱気に満ちたこの場をつくってくださったのではなかろうか」と感じたという。聴講した師長の一人は「必ずもう一度、大学の教壇に立つのですよ」と励ましてくれた。

「発病してからの私は、目が覚めるたびに、きょうも生かされていると感謝した。さらに、あと一週間生かされるなら、その間に何をしようかと考えることの積み重ねで過ごしてきた」と牧教授は語っていた。その間にも、肺や食道などに小さながんが見つかり、一年または二年おきに手術を受けた。演壇や教壇に立つたびに「人前で話をするのは、これが最後かもしれない」と思った。「いつも、死を意識しつつ生きています」とも語った。

看病する恵子夫人にとっても、気の休まる暇のない十年間だった。五木寛之氏の著書にあった「わがはからいにあらず」の言葉に力づけられた。「いつも笑い声の響く家庭に」と願い続けてきた。その願いの通り、牧家の雰囲気は常に明るく、取材に訪れた報道陣にも、さわやかな印象を与えた。「自然法爾」の境地は、夫妻の協力によって紡ぎ出されたと言えよう。宗教者が学ぶ点も多いのではないか。