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「原爆忌」という季題を詠み継ぐ

2009年8月6日付 中外日報(社説)

十秒で消えたる命雲の峰  大岩旅人木

書き遺す原爆のこと空青し  髙橋冨久子

俳誌『藍生(あおい)』主宰の黒田杏子さんが選者を務める日本経済新聞の俳句欄には、原爆忌のころ、この二人を中心に、被爆にかかわる句がたびたび登場する。

多くの新聞は週一回、短歌と俳句のページを掲載しているが、黒田さんの選には、被爆詠が特にたくさん集まる。季節感をこめて自然を詠む俳句界で、異彩を放っている。被爆詠と黒田さんとの縁は、静岡県沼津市で始まった。

平成十一年、旧御用邸を中心とした沼津御用邸記念公園の施設を積極的に活用しようと、病院長で医師の望月良夫さん(故人)が発起人となり、黒田さんを講師に招いて年四回、句会を開くことになった。

望月さんは東京都三鷹市在住の元証券会社常務、大岩孝平さんに声を掛けた。大岩さんは、自分と同じ被爆者で、広島の幼稚園で同級の主婦・髙橋冨久子さん=東京都武蔵野市=など友人を誘って参加した。「沼杏(ぬまもも)の会」が発足、大岩さんは「旅人木」という俳号をもらった。

二人ともそれまで、全く作句経験はなかった。しかし、被爆者として身の内からわいてくるのは、核なき世界を望み、平和を願う心である。

「旧制女学校一年生の時に、原爆で多くの同級生を失った髙橋さんは、自分が幸せを味わうたびに、十三歳で亡くなった級友を思い出し、申し訳ないと感じるそうです。一番の仲良しだった友達の遺族には、原爆忌のたびにお花を贈り続けてきました。また大岩さんには『原爆百句』をまとめることを勧めています」と黒田さん。

二人とも、黒田さん選の日経俳壇に投句し、それを読んだ人々の中から、同じテーマの作品が寄せられるようになった。

涙それは尽きぬものなり原爆忌  大深 清子

午後二時の原爆ドームかぎろへる  大林 洋子

広島忌街を貫く川の数  塩出 真一

雪しんしん被爆の胃腸放りたし  村山 正恵

原爆に関する俳句は、被爆直後から数多く詠まれてきた。被爆して半月、急性放射能症で亡くなったという、当時十歳の行徳功子ちゃんは、自分に先立って死んだ弟のために「蝉鳴くな正信ちやんを思ひ出す」と詠んだ。記録に残された被爆詠俳句の第一号ではないだろうか。

続いて被爆後二十日目に死亡した、当時広島文理科大学(現・広島大学)学生の大塚哲郎さんが「この町に葬式つづく百日紅」と詠んでいる。いずれも昭和三十年に広島の俳人たちが協力して編集した『句集・広島』に収載された。

昭和三十年代の終わりごろ、広島の歌人や俳人、詩人たちの間では「すでに原爆は詠み尽くされたのではないか」との声が上がったことがある。しかし今もなお「原爆忌」は詠み継がれている。黒田さん選の日経俳壇も、その流れを受け継ぐものだ。

黒田さんは言う。「新聞俳壇、新聞歌壇という"開かれた"発表の場があるのは、日本の特色です。毎週一回、投句者がいて、選者がいて、活字になった作品が読まれる。『原爆忌』という季語のもとにヒロシマやナガサキが詠まれ、幅広い共感が伝えられてゆく。素晴らしいことです。被爆体験のない私ですが、選者として、共感できる句を頂く。俳句・短歌欄を通じてみんながそれぞれ成長していく。その場を提供するところに、メディアとしての新聞の存在意義があると思います」

最近の読売俳壇・矢島渚男選には「水を打つヒロシマナガサキは問ひぬ」(福岡悟)があった。詩人の心は平和を希求する。宗教者がその志を酌み、さらにさらに発展させることを期待したい。