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A氏とB知事のキャリアアップ

2009年7月23日付 中外日報(社説)

数年前、中学校の教師をしている浄土真宗寺院の副住職に聞いた話である。進路指導で、ある男子生徒と話し合った。生徒は「大学を卒業したら、日本を代表するような会社に入社したい」と述べた。

「その会社で社長を目指すのか」と聞くと「社長になるつもりで頑張る。しかし最初は一番下の地位からスタートし、一段階ずつ昇進するのがよい。その経験があれば幹部になっても働きやすいと思います」と答えた。「地についた考え方ですね。私の方が教えられているようでした」と副住職は告白した。

そのころ、ある新聞社で採用されたばかりの記者が退職したことが、社内の話題となった。大学で学んだ学識をもとに、論説か評論を書くつもりで入社したのに、配置されたのは警察担当だった。先輩記者に聞くと、論説が書けるようになるまでには、二十年近くかかるという。理想と現実の差に失望して、さっさと辞表を出したそうだ。

だが新聞社に限らず、どの職場でも、大学で学んだだけで、その知識が通用するほど、甘くはない。実務の積み重ねが必要だ。新人記者にはそれが分かっていなかった。

さて、国際連合をはじめユネスコ、ILOなどの専門機関には、さまざまな国籍の人々が国際公務員として働いている。国連以外の国際組織も含め、そこに働く職員は、必ずしも終身雇用を求めていない。

大蔵省(現・財務省)からアジア開発銀行に出向していた幹部の話では、同銀行の職員は自己の価値を高めるためのキャリアアップを目指しており、よい職場があればすぐ転職する。そのような職員から、いかに忠誠心を引き出すかに苦労した、という。

最初に紹介した男子中学生は、企業への忠誠心を前提としつつ、その内部でのキャリアアップの必要性を自覚していた。恐らく平素から、親たちに教えられていたのだろう。

昭和二十四年に新設された国立の広島大学は、初代学長に地元出身で文部大臣(現・文部科学大臣)経験者の森戸辰男氏を迎えた。森戸学長は、被爆都市の大学として、平和研究所を付設したいと願ったが、果たせなかった。

平成十年、同じ広島の広島市立大学に広島平和研究所が設置されることになった。初代所長には、国連事務局の幹部を退任したばかりのA氏が選ばれた。平和維持活動で業績を挙げたA氏は、まさに適任であると歓迎された。

そこへ有力な自治体の首長選挙が近づき、ある有力政党がA氏を公認候補に立てたいと申し入れた。A氏はその話に乗り、就任したばかりの広島平和研究所所長を辞任して選挙準備を始めた。なんのことはない、平和研究所所長の座は、A氏にとってはキャリアアップの一手段だったのだ。広島市民は失望したが、いかんともしがたい。なおA氏は、その選挙には当選しなかった。

ところで最近、九州のB知事の言動が注目の的になった。沈滞した県政に活を入れるため、知事になったはずだった。だが、一期目の任期が半ばであるのに、大政党から衆議院選挙への出馬話が持ち込まれると、前向きの姿勢を示した。しかも交渉の過程で自分を党首候補として処遇するよう求めた。もちろんその話は流れたが……。

知事就任は、B氏にとって単なるキャリアアップの手段にすぎなかったのだろうか。そうだとすれば、先の知事選挙でB氏に投票した県民の立場は、どうなるのだろう。

いきなり党首候補の地位を要求するのも一つの信念ではあろうが、冒頭に紹介した中学生の「一番下の地位からスタートして」の言葉を味わう余地はないか。衆議院は解散されたが、政治の世界にも、達磨大師の「面壁九年」に学ぶ境地があってよい。