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不殺生戒体して負の連鎖防ごう

2009年7月14日付 中外日報(社説)

「誰でもよかった」という無差別な殺人事件が止まらない。大阪市のパチンコ店で七月五日、四人が死亡し、十九人が重軽傷を負った放火殺人は、とりわけ衝動的、短絡的な犯行という印象が強い。凶行に踏み込む「心のハードル」が一段と低くなったのか。ガソリンの悪用は模倣犯が出てくる懸念も抱かせる。動機の徹底解明が急務だが、暴走を思いとどまらせる心の教育の必要性を痛感する。

放火の容疑者は失職中で多額の借金があり「人生に嫌気がさして」多くの人を殺そうと思ったそうだが、自分の行為がどんな結果をもたらすか、想像しただろうか。時代小説作家の池波正太郎が、ある作品で「人は、平和な時代の方がむしろ命の尊さを忘れ、平気で人を殺す」という趣旨の言葉を主人公に語らせている。無差別な殺人事件が起きるたびに、その言葉を思い浮かべる。

「誰でもよかった」という動機なき大量殺人ですぐに記憶がよみがえるのは、昨年六月の東京・秋葉原の事件だ。犯行の容疑者はトラックで歩行者天国に突っ込み、さらにナイフを振りかざして次々と歩行者を襲い七人が死亡、十人が負傷した。精神科医で神戸親和女子大の片田珠美教授は近著『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)で同事件を中心に日本と米国で起きた六件の無差別殺人を分析している。

秋葉原事件の容疑者は、大阪の放火と同様「世の中が嫌になった」と供述したとされる。片田教授は、こうした欲求不満や抑うつ感を抱えた人間は、通常ならむしろ自殺を考えるのではないか。なぜ面識もない人々の命を奪うことに関心が向かうのか。また、この男と同じように社会的に不遇で孤立感に悩む人は多いのに、犯罪は起こさない。一体何が凶悪な事件への最後の一線を越えさせてしまうのか――。そんな視点で事件を検証した。

事件にはそれぞれ特徴があるが、教授によると大量殺人に至る共通の要因として容疑者の長期にわたる欲求不満や責任転嫁の性癖、破滅的な喪失感をもたらす何らかの体験など六つの要素があるという。

秋葉原事件の場合、容疑者は教育熱心な母親に厳しく育てられたが、高校に入って成績が伸びず挫折、その後「負け組」の生活が続き、実家も家庭崩壊した。派遣社員として職を転々としていたことから、事件当初「格差社会」を背景として指摘する論調も一部にあった。だが、教授は否定的だ。人は子どものころ、自分に自己愛的な夢を描くが、普通なら大人になるにつれ等身大の自分に向き合うようになっていく。ところが、片田教授は「成熟拒否」と呼んでいるが、事件の容疑者は自己愛が強すぎて現実の自分の姿とのギャップを受け入れることができなかった。また、そのギャップを埋める努力もしなかったことに目を向けるべきだという。

秋葉原事件の容疑者は犯行に至るまで、社会に対するうっ積した逆恨みや暗い復讐心を募らせていった。平成十三年の大阪教育大附属池田小事件、米国のコロンバイン高銃乱射事件(一九九九年)など同書が検証した他の事件にも、似通った構造があるという。

ところが今回のガソリン放火事件は、筆者にはどこか違うものが感じられてならない。動機の解明がまだ充分でないこともあるのだろうが、報道によると容疑者は自分だけが苦しい思いをしていると思い「誰かに八つ当たりしたかった」と供述している。事件を起こそうと思い始めたのも数日前だ。言葉の安直さと行動の軽々しさが報道の通りなら、結果の重大さとの落差が大きすぎる。

無差別殺人は負の連鎖を引き起こす。最も恐ろしいのは、歯止めなく凶行に走る類似事件の引き金になることだ。不殺生戒の仏の教えを、あらためてかみしめなければならない。