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仏教復興と階級差別

2009年6月27日付 中外日報(社説)

昭和四十年(一九六五)に日本をたってから、実に四十四年ぶりに故国に戻っていた佐々井秀嶺和尚が二十三日、約二ヵ月の滞在を終えインドに帰国した。国内の多くの支援者、縁故者を歴訪するため来日し、四月中旬から関係者も驚く日程をこなして、各地で講演活動も行なった。

佐々井和尚はインド固有のカースト(階級)制度の最下層とされる不可触民の解放とインド仏教の復興のために生涯を捧げた(山際素男著『破天』光文社新書)。その間、幾度か国外退去命令などの圧力を受けながら、一九八八年にはインド国籍を取得。憲法上は存在しないカースト差別にあえぐ不可触民の人々と生活を共にしながら人間の平等を徹頭徹尾実践してきた。

その思想形成に最も大きな影響を与えたのは、アンベードカル博士である(ダナン・ジャイキール著・山際素男訳『アンベードカルの生涯』光文社新書)。博士自身が不可触民出身で、刻苦勉励してコロンビア大学を卒業し、インドを代表する法律学者となった。博士は、人間平等を説き示した釈尊の仏教に帰依した。

彼の不可触民解放の実践原理は仏教にあった。佐々井和尚は博士にいたく共鳴し、その遺志を継承したのである。

二〇〇三年にはインド少数者委員会仏教徒代表に就任(二〇〇六年まで)し、ブダガヤ大菩提寺を仏教徒の管理下に移すため奔走した。現在も、一億人を数えるという不可触民出身の仏教徒の精神的指導者として尽力している。

佐々井和尚はある時の夢告で、中インドのナグプールが仏教復興の聖地であると確信した。そして、そこを仏教復興の拠点とし、仏教改宗の実践活動を続けている。ナグプールのマンセル遺跡にある世界遺産級の仏教寺院址と仏塔の複合構造物の発掘に努めることなども、すべて仏教再興の一環としての事業活動である。

現在のインドの国民的宗教はヒンドゥー教である。だが、長きにわたってムガール帝国支配下にあったインドはイスラム教が普及し、現在一億六千万人のムスリムがいると推定される。十三世紀初頭以後にインド本土で仏教が滅亡したのも、イスラム教徒が寺院を破壊したことによるとされる。

このようにインドは多宗教併存ではあるが、ヒンドゥー教の社会構造であるカースト制度は厳然として存在している。ヒンドゥー教が、カースト制度と階級格差の教義との密接不可分関係にあるのを見ても、ヒンドゥー社会において階級制は牢固として抜き難いものであるといわなければならない。その中で、不可触民は厳密にいえばこれらのいずれにも属さないアウトカーストである。

仏教の起源を顧みるならば、釈尊は釈迦族出身である。従ってバラモン教とは異質な種族宗教の系譜につながる。釈尊は司祭階級であるバラモンを最高位とするカースト制度における社会格差、人間差別を手厳しく批判した。それはカースト制度をある意味で外から見ることができる種族出身の釈尊であったればこそである。

極言すれば人間の歩みは格差社会の歴史をつづってきたといってよいであろう。もちろん、釈尊は基本的人権の立場に立ち、自由と平等という現代の民主主義的な観念を前提としたのではないであろう。

だが、カーストは古代社会にあっては身分的な貴賤、社会的差別に関するすべての観念を支配するものであった。釈尊はこれに対し、カーストが先天的、宿命的に決定付けられていることを、果敢に否認した。さらに個人の行為によって格差が後天的に作為されるにすぎないと断言した。

人間平等観の根源的基底として、生まれながらにして人間は無差別平等であらねばならないというのが釈尊の根本的立場なのである。こうした自覚が、長い歴史の間の因習による人間の差別意識を突き崩してゆく時にこそ、現代における仏教の真の普遍性が世界的に承認されるのだと考える。

日本でこれまでアンベードカル博士や佐々井和尚に関心を持って翻訳や著作活動を行なってきたのは、多くは教団と直接関係のない人々であった。残念ながらインドの仏教復興運動に対して教団仏教は傍観者的であったといわざるを得ない。

佐々井和尚の来日を機に、あらためてインドにおける仏教復興に力強い声援を送り支援したいものである。