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"団塊の世代"に読んでほしいが

2009年6月16日付 中外日報(社説)

十年余り前、ある仏教系教団が写真中心の月刊布教機関誌を創刊した。全ページ、モノクロだった。どの写真も、モノクロとしては素晴らしいトーンだったので、編集者に「この調子で毎号、よい写真を」とエールを送った。しかし、周りの布教機関誌の多くがカラー印刷である。モノクロでは見劣りがする。この機関誌も、いつの間にか全面カラーになった。モノクロ文化を守り続けてほしかったが、教団の幹部や信徒がカラーを望むなら、やむを得ないことだ。

別の仏教系教団は、成人信徒向けと青年部会員向けと、二種類の月刊機関誌を発行している。先ごろ、青年部向け機関誌に、要旨次のような投稿が掲載された。「僕を信仰に誘ってくれたA君が、急病で亡くなった。一時は落胆したが、A君の分まで青年部活動に打ち込もうと決心した。それが天国にいるA君への何よりの恩返しの道になると思うからだ」

仏式葬の弔辞で「天国で安らかに」「天国から見守って」などの言葉を聞くことの多い昨今であるが、教団発行の機関誌が「天国」表記をパスさせたのには驚いた。しかし、昨今の若者の間では「天国」が浄土の意味で使われている。機関誌の編集者は、その現実を"大乗的"に判断したのかもしれない。

「六十代の人に読んでもらいたい。残念ながらわが教団の機関誌の読者は七十代、八十代が主体です」。別の仏教教団機関誌の編集長が打ち明けてくれた。団塊の世代と呼ばれる六十代の人々が会社勤めから解放された今、この層に機関誌を熟読してもらい、布教活動の第一線を支えてもらいたい。ところが在職中にパソコンを駆使してきたためか、インターネットには熱心だが、活字には目を向けない傾向がある。

「六十代が寺に来てくれないのだから、青年層を呼び寄せるのはさらにさらに大変ですよ」と編集長は言う。その点「天国」表記を許容した教団は、青年部機関誌を持っているだけ、若者への布教条件に恵まれているかもしれない。

「肌黒き日光・月光菩薩なり腰のくびれの艶めきて立つ」。ある総本山発行の機関誌の短歌欄の入選作である。「文芸欄のページには、高齢者だけでなく、若い層からも作品が集まります。文芸欄は、布教機関誌の目玉的な存在です」との声も聞く。同じ号の俳句欄には「発心の旅のあなたに春の星」が、また川柳欄には「観音の顔に似てきた巡礼者」があった。

筆者はある大宗派の機関誌に三年間、エッセーを寄稿したことがある。条件は「宗教に関係のある話題に限ります。わが宗派を厳しく批判してもいけないし、褒め過ぎてもいけない。他宗派に対しても同様です。しかも読みやすく、面白い内容に」だった。教団が発行する以上、こうした配慮が必要なのであろう。

さて、ガラリと変わってカトリックの話題を。長崎で発行されている『聖母の騎士』という月刊宣教誌がある。先年、聖人に列せられたコルベ神父が日本宣教時代の昭和五年に創刊したものだ。その後を日本人の神父や修道士が継承、毎号三十二ページ、百四十七円の定価を守っている。同誌の編集長を二十四年間務めたコンベンツアル聖フランシスコ修道会司祭の水浦征男神父は、このほど後任者と交代、兵庫県西宮市仁川教会の主任司祭になった。「編集長歴二十四年という例は珍しいでしょうね」

この話を仏教界の機関誌の関係者に伝えると「カトリックだから長期にわたり勤務できるのでしょう。わが宗派では若い僧侶に編集のノウハウを教えても、数年後には自坊の法務が忙しいからといって退職する例が多い。あらためてまた新人に教え込まねばなりません」。文書伝道の悩みは尽きないようだ。そうした苦労を、機関誌の行間から読み取りたい。