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歳時記を見直す俳人はいないか

2009年6月6日付 中外日報(社説)

短歌(和歌)の枕詞は、「時間稼ぎ」または「場もたせ」的な働きをしているのではないか。先日の日本経済新聞のコラムに、フランス文学者の鹿島茂氏がこんな感想を記していた。

万葉集の時代は、和歌は口頭で応酬することが多かった。額田王が「あかねさす紫野ゆき標野ゆき……」と呼び掛けると、大海人皇子が「紫の匂へる妹を憎くあらば……」と応えたあの雰囲気である。「えーと」「あのー」に当たる言葉の遊びが必要な時「あしびきの」とか「ひさかたの」など、意味の薄い言葉を並べながら、次に出す実質的な言葉を探した。

古今集や新古今集の時代に入り、和歌を文字で書く習慣が確立すると、枕詞を使う頻度が急速に低下したというのが鹿島説の要点である。筆者の周辺の歌人も「たしかに枕詞は、万葉集に多く使われたものだ」と肯定していた。しかし現代短歌でも「たらちね」という枕詞だけを使って「親」そのものを表現する作品がある。枕詞の存在感は、かくも根強い。

さて、短歌の源流が枕詞の文学であるなら、俳句独自の文化は「季語」だ。首都圏に住む友人のP氏は、ある俳句グループの世話役を引き受け、北海道や九州の仲間から送られてくる作品の仕分けボランティアをしている。

東京で晩春の句会が開かれたある日、博多では「竹の秋」を詠む夏めいた日差しだったのに、北の帯広では「春の雪」とも言えぬ一〇センチの積雪を見たとか。自然を詠む俳人たちは、日本の南北への広がりを再認識したようだ。

そんな中でP氏は、ある俳句雑誌で、三人の有名な俳人が季語について論議を戦わせたという記事を読んだ。旧暦をもとに定められた季語には、新暦の現代にはそぐわない点がある。また近年の地球温暖化で、季語と現実のズレがますます複雑化しようとしている。これにどう対応するか、との内容である。

従来の伝統を守れというA大家、新暦に合わせて歳時記を見直すべきだというB大家、ケース・バイ・ケースでやろうよというC大家。三者三様の意見は、その雑誌の上では決着がつかなかったとか。

季語で問題になるのは、一部の俳人が「五月晴れ」を新暦五月の空のように日本晴れが続く様子と誤解していること。「五月雨」というように、旧暦五月は梅雨のシーズンだ。たまたま長雨が一休みした短い晴れ間を「五月晴れ」と呼ぶ。その誤解を解くのは容易ではない。

あるグループが「八月の兼題は『盆の月』に」と話し合った。明治五年の改暦まで、お盆は七月十五日であり、その夜は満月が光っていた。だから「盆の月」という季題が生まれたのだが、新暦の月遅れ八月十五日のお盆は、満月と重なることはまれである。「盆の僧」は詠めても「盆の月」は詠めない。

八月六日の広島原爆忌と九日の長崎原爆忌の中間に立秋がある。「広島」を詠んだものは夏の句だが「長崎」を詠んだものは三日の差で秋の句とされる。日本人の心情としては、広島・長崎の日に続く八月十五日の終戦記念日を含め、昭和二十年の八月を偲ぶ句は、すべて夏の句としてまとめたいところだ。

俳人たちは、これからも「余寒」に震えながら春を詠み「残暑」の汗をぬぐいながら秋を詠み続けるのだろうか。

俳句雑誌が三人の大家の鼎談(ていだん)を企画したのは、新暦で生活しながら、俳句を詠む時だけ旧暦感覚を押し付けられる不合理さを認識してのことだろう。だが「三人の大家は、巷(ちまた)の俳句愛好者の『困った』に応えてくれなかった」とP氏は指摘している。歳時記の改革を図る"平成の子規"は出ないものか。季節はやがて『五月晴れ』から『原爆忌』のシーズンを迎える。