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仙人にも貧富貴賤道教的な"天界"観

2009年5月26日付 中外日報(社説)

四世紀の初め、中国の東晋時代に葛洪(かっこう)が著わした神仙道教に関する書物である『抱朴子』。その対俗篇に次の記事がある。

――先師から聞いたところでは、仙人が天界に昇るか、それとも地上の世界にとどまるか、大切なのはいずれにしても長生不死という点に存するのであって、去るかとどまるかは各人の好むところに従うのであるとのこと。

また丹薬や金液を服用する方法についても、ひとまずこの世にそのままとどまりたいと思う者は、ただ半剤だけを服用して残りの半剤は大事に取っておき、もしその後になって天界に昇りたくなったならば、すべてを服用する。

不死であることはすでに確定しているのだから、ぽっくり死ぬ恐れはない。しばらく地上の世界に遊ぼうが、名山に入ろうが、何を心配することがあろうか――。

『抱朴子』と同じく葛洪の撰著とされる『神仙伝』には、ここに述べられているように、天界に昇ることを望まず、むしろわざと仙薬の半量だけを服用して地上の世界にとどまった仙人のいたことが伝えられている。

例えば馬鳴生(ばめいせい)は「天に昇ることを楽(ねが)わず、但だ半剤を服して地仙(地上世界の仙人)と為る」。また、馬鳴生の弟子の陰長生(いんちょうせい)は「丹を合する(丹薬を調合する)も但だ其の半ばを服し、即(ただ)ちには天に昇らず」。

神仙道修行者にとって最高の理想であり、至福の世界であるはずの天界。そうであるにもかかわらず、そこに昇ることをためらう者がいるのはなぜなのであろうか。そのように考える時、『抱朴子』の右の記事に続いて紹介されている彭祖(ほうそ)の言葉が面白い。

彭祖は『論語』述而篇の冒頭に「窃(ひそ)かに我を老彭に比す」とあるのについて、二世紀の鄭玄(じょうげん)が「老とは老耼、彭とは彭祖」(『経典釈文』の引用)と注し、また六世紀の皇侃(おうがん)が「老彭とは彭祖なり。年は八百歳、故に老彭と曰うなり」(『論語義疏』の説)と注しているように、『論語』に登場する人物に比擬されることもあるのだが、それはともかくとして、彭祖は次のように語ったというのである。

――天上世界には高官や偉大な神々がたくさんおられ、新米の仙人は位が低く、お仕えしなければならない相手は一人ではない。苦労が多いばっかりだ。それで天に昇ることにあくせくせず、人間の世界に八百年余りとどまったのである――。

つまり、天界にも地上の世界をそのままに投影したような官僚組織が厳然として存在し、新米の仙人は上級の仙人にぺこぺこと頭を下げて仕えなければならず、必ずしも住みやすいところではないというわけだ。

『抱朴子』はその袪惑(きょわく)篇にも、蔡誕(さいたん)なる人物が彭祖と同様に次のように語ったという話を伝えている。「わしはまだ天に昇ることができず、ただ地仙となっている。それに仙人になったばかりで位は低く、先輩の仙人たちに奉仕しなければならない」

ところで、天界にもヒエラルキーが存在するというのは、何も道教だけでいわれたことではなかったようである。というのも、三世紀の康僧会(こうそうえ)の漢訳にかかる仏典の『六度集経』に次のような一段が見いだされるからである。

「たとい天に昇ったとしても、天にも貧富貴賤があり、寿命を延ばしたとしても、福が尽きると罪が身を襲い、太山や餓鬼や畜生の境涯に落ちこむことになる」(巻三)

ここに太山とあるのは地獄のこと。つまり、あらゆる有情の存在は涅槃に入らぬ限り、地獄、餓鬼、畜生、人、天の五道を輪廻し続けなければならぬという仏教の教理に基づいてこのようにいわれているのだが、「若(も)し其れ天に昇るとも、天にも亦た貧富貴賤有り」とある一句はそもそも原テキストの忠実な翻訳であったのであろうか。それとも道教的発想の影響のもとに康僧会が付け加えたものであったのであろうか。