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ホームレスとは何か

2009年5月23日付 中外日報(社説)

不況で「ホームレス」が増加しているが、「ホームレス」という言葉が気になって仕方がない。なぜわざわざ英語を使うのか。これは「宿無し」という意味ではないのか。宿無しといえばあまりにも露骨に響くから英語でというのなら、誠に不思議な言語感覚というほかはない。

ところで、そもそも「ホームレス」とはいかなる意味か。ホームとハウスはもともとほぼ同義だが、ハウスというと建物の意味が前面に出る。それに対してホームは自宅や根拠地の意味で定住の場所という含みがある。

類語を拾ってみると、「宅」は漢語で要するに住宅のことだが、宅地、邸宅というように中立的に使われる。他方、「家」はウチでもあり、だから家にはハウスとは違って、外に対する内ということ、疎遠とは反対の親密さという含みがある。従ってウチにはホームと近いところがあるといえよう。

「宿」は元来は屋戸で、戸また戸口のことだったが、「宿る」と混用されて仮の泊まり場所という意味になったという。宿屋、民宿、下宿のように使われる。だから「宿無し」といえば、仮の宿さえない人ということになる。

ところで英語のホームには家庭、楽しく安全なだんらんの場という含みがある。マイホームという場合もそうだ。するとホームレスという言葉は実は単なる「住居喪失者」ではなく「家庭のない人間」ということになる。だからホームレスという語は「宿無し」よりかえって残酷なのである。

それだけではない。世には住む家はあっても家庭のない人が増えている。独り暮らしの老人がそうだ。かつては妻もいた、子供もいた、ネコまでいた。今は独りきり。独居の老人がホームレスという語を耳にすると、かつて家族皆で楽しく夕げの卓を囲んだ温かい時が思い出されて、どうせ私にはホームはありませんよと呟くのである。ホームレスとはかくも心無い言葉ではある。

ところで「ホームレス」と似た言葉に流浪者(流れ者)がある。流浪といえば、かつてはジプシーが流浪の民と訳されたが、ジプシーは差別語だというので今は出自をとってロマと呼ばれている。もう流浪の民という含意はない。

他方、さすらい、放浪、漂泊といえば何やら脱俗的、文学的な含意があるのは「片雲の風に誘はれて漂泊の思ひやまず」という『奥の細道』冒頭の文が思い出されるからだろうか。西行がそうであり、近年では種田山頭火が漂泊の俳人であった。

さすらいの旅は宗教者には普通のことである。釈尊は弟子を連れて布教の旅を重ねた(雨期には定住した)。イエスは当時の律法学者とは違って弟子を連れて布教の旅をした。定住したという記録はない。古代ギリシャの哲人ディオゲネスは犬儒派と呼ばれ、ぶどう酒の大樽に住んでいた。街中をごろごろ転がして気に入ったところで寝たという。

漂泊の旅を続けた宗教者は少なくない。メンディカント(定住場所のない托鉢僧)という言葉もある。もともと宗教者は家を捨て生業を捨て世を捨てた修行者である。

むろんホームを持ち定職を持つようになった宗教者が多いわけだが、使徒パウロは「持つ者は持たざるがごとく……生きよ」という。「狐に穴あり鳥にねぐらあり、されど人の子(私)には枕するところなし」というイエスの言葉が伝えられている。何のことはない、ホームレスとは自ら選んで定住の家を捨てた宗教者のことだ。

だから宗教者をホームレスというのならその通りだからよいのだが、「住居喪失者」をホームレスと呼ぶのは歪んだ表現である。アメリカ発の不況で気の毒なことになっている。名称はともかくとしても、一日も早い救済策が望まれる。