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インドの現実とガンジーの理想

2009年5月21日付 中外日報(社説)

「数学の進歩は、良い環境からもたらされる」が数学者・藤原正彦さんの持論だ。以前、日本ペンクラブでの講演で、次のように語った。「インドは雑然たる風景の国、という先入観念を持っていた。だが南インドのある地方が、有望な数学者を輩出している。その地方を訪れると、美しい緑と寺院群から成る景観が広がっていた」と。

確かにインドには、雑然たる場所もないではないが、美しい場所も多い。道路沿いの並木には、インド人の緑を大切にする心が感じられる。だからやがて他の地方でも、藤原さんを驚かせるような数学者が現われるかもしれない。

そのインドで四月十六日から、下院の総選挙が始まり、今月十六日の開票で、シン首相率いる与党連合の圧勝に終わった。この間に毎日新聞が選挙絡みの興味深い話題を伝えていた。北インドのある村では、今なお電気のない生活が続いているというのだ。

人口四千人のその村は、個人の投票の自由を尊重してきたため、有力政党に得票が集中することがない。だからどの政党も、本気になって村に電気を引こうとしない。長老は「村の外から嫁が来ない」と嘆き、ある若妻は大都市の実家へ逃げ帰った。若者は携帯電話の充電ができないと言って村を捨ててしまう。

議論の結果、今回はある有力政党への投票が決まったが、長老は「若者が利益誘導型の選挙に疑問を抱かなくなるのが怖い」と憂慮していた。

その数日後、朝日新聞と日本経済新聞に、インドの技術と経済の発展をうかがわせる記事が出た。朝日新聞によると、インド宇宙研究機関(ISRO)が開発中の、翼付きチャレンジャー型宇宙船が、一年後にも飛行実験できる段階を迎えるという。宇宙開発技術の長足の進歩だ。

一方、日経新聞はムンバイ(旧ボンベイ)国際空港の整備が進み、年間利用客数が成田空港の七割近くに達したことを伝えている。やがては成田を追い越す勢いだ。だがその空港のすぐ横には、貧しい人々約十五万人が住む地域があり、住民の中には一日の稼ぎが日本円で三百円余りという人もある。いつかは飛行機で故郷へ帰りたいと思うが、この人にとって、目の前にある空港の搭乗口までは、あまりにも遠い。

空港をたびたび利用する富裕層と、それを横目で眺める貧しい層と。その中間に属する人々が関心を寄せるのが、近く発売される激安カー「ナノ」だ。ワイパーは一本、バックミラーは片側だけという簡素化でコストを削った。二輪車からの乗り換えが予想される――こうした人々の息づく中で、インド総選挙は粛々と進められた。

新潟県在住のガンジー研究家、片山佳代子さんによると、インド独立の父・ガンジーは「各村々が、独立インドの神経中枢となります。その時にはインドはボンベイ、カルカッタ(現・コルカタ)のような都市によって知られるのでなく、七十万の村々に住む四億の人々によって知られるようになります」=片山さん訳=と記した。独立前のインドの総人口が四億人、村落の数は七十万だった。

無抵抗の精神を貫き、自ら糸車を回しながら、近代産業による利益を追求することなく、農業を基本とした国造りを目指したガンジーらしい言葉だ。しかし独立後六十余年を経たインドの現実は、ガンジーの理想とは程遠い。朝日新聞の投稿欄には、春休みに訪印した大学生からの「インド社会の格差の大きさに驚かされた」の体験談が掲載されていた。

仏教を生んだインドに、テロや列車乗っ取りなどの事件が頻発し、国家は核兵器などによる武装をますます強化する。国際関係などでやむを得ない事情もあろうが、世界の仏教徒やガンジー崇拝者の心情を裏切らぬ国造りを期待したい。