ニュース画像
開基の妙達上人像を開眼する五十嵐住職
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

子どもの虐待死と女性への暴力

2009年5月16日付 中外日報(社説)

「子どもの虐待はDVと重なることが少なくない。女性が経済的に自立し、家庭内での立場が高まらないと虐待も減らないのではないか」と、大阪市内の民間運営のDVシェルターで聞かされた。数年前、同市内で小学六年生の児童が自宅に監禁され、衰弱死した悲惨な事件が注目されていたころだ。

DVとはドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)の略だが、主に配偶者による暴力を指す。もとより被害者はほとんどが女性である。DVシェルターは、被害女性を一時的にかくまう現代版「駆け込み寺」のことだ。

筆者が訪ねたシェルターは、訪問者から電話で用件を聞き、施設に近く目印になる所を指定する。そこに行くとスタッフが待ち受けていて訪問者の素性を確かめ、大丈夫と判断したら施設に案内するというルールだった。

「暴力から逃げた女性を男は執拗に探して連れ戻そうとします。シェルターの場所は秘密ですが、それでも見つけ出して怒鳴り込んで来ることもある。だからシェルターの全国ネットを動員して、女性が駆け込んで来たら、なるべく遠いシェルターに移すようにします」。運営の責任者はそう語っていた。

子どもを連れて逃げて来た場合、シェルターは子どもの学校のことも考える。だが、どこで嗅ぎつけるのか、その学校が探り当てられることもあるそうだ。

逆にシェルターがせっかくかくまっても、しばらくすると「帰らせて」と言い出す女性もいる。「今帰ったら、本当に殺されてしまう。やめなさい」と、いくら諭しても聞かないケースもあるようだ。

子どもへの虐待は、もちろん男が手を下すことが多いが、普段から暴力を振るわれている女性のストレスも要因として否定できないという。シェルターの責任者は、そのことに心を痛めていた。話を聞き終わり、どうにもやりきれない気持で辞去した。シェルターの運営にかかわる人々の負担も並大抵ではない。

こんなことを記すのは、最近またぞろ虐待によるとみられる痛ましい子どもの死が相次いでいるからだ。大阪市西淀川区では、小四女児の遺体が母親と内縁の夫らによって山中に捨てられていた。兵庫県小野市では、四歳の子どもが両親にせっかんされ、遺体は二年近くも自宅の冷蔵庫に隠されていた。

ある種の事件は、異常な事例が報道されると、なぜか流行病のように同じようなことが続いて発覚する。子どもの虐待も、その一つだ。裏を返せば、それだけ日常的に起こっている証左だろう。全国の児童相談所に持ち込まれる、虐待に関する相談件数は増え続け、二〇〇七年度に四万件を超えた(四〇、六三九件)そうだが、それさえも氷山の一角かもしれない。

報道によると西淀川の事件では、優しかった母親が先夫と離婚、別の男と同居を始めてから異常さが加速した。小野市のケースは夫に暴力を振るわれた妻が、自分も殺されると思い自首した。子どもの死に、DVが何らかの形で関係していたことをうかがわせる。

配偶者による暴力を防ぐため、いわゆるDV防止法が二〇〇一年につくられ、 その後改正もされた。しかし、同法の中心をなす被害者の保護対策だけでは実効を上げることは難しい。冒頭の話のように、女性の地位を高める総合的な政策が伴わないと「男女共同参画社会」の看板も泣く。

ところで江戸時代の駆け込み寺(縁切り寺)は『日本語大辞典』(講談社)によると女性が三年間勤行すれば縁切りが成立したという。封建時代でも仏教は、女性の保護・自立に一定の影響力があったと考えられる。

現代はどうなのか。以前にこの欄で、宗教界は男性の価値観中心だが、男性主導では世界を平和に導けないという視点を紹介した。社会問題であるDVとの向き合い方にも同じことが言えないだろうか。子どもの虐待にもつながることだ。男性主導にあぐらをかいて済むことではない。