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自由な時間をいかに使うか

2009年4月21日付 中外日報(社説)

四月も下旬に入り、"ゴールデンウイーク"が間近に迫ってきた。現在の祝日法では、憲法記念日かみどりの日が日曜日に重なる場合はこどもの日の翌日が振り替え休日になるため、五月三日が日曜の今年は暦通りで四連休、五月二日が土休の会社などは五連休という計算になる。

百年に一度の大不況といわれる昨今、自由に使えるお金がないのに休日だけが増えても困る、という実感を持つ人も中にはいるのではないか。定額給付金では焼け石に水、かもしれない。

ところが、五連休はまだまだ甘い。不況のあおりで、企業側が生産調整、人件費抑制などのため連休の前後にも休日を設定するケースが今増えているというのだ。

かつて、修行的な意味付けがなされ、仕事場での拘束時間が長く労働条件の悪い勤めを"丁稚(でっち)奉公"と称した。今でもごく一部には比喩的な意味でこの言葉が用いられることはあるだろうが、現代では、一般には死語に近いだろう。

丁稚奉公といえば、江戸時代の商家などの奉公人は藪(やぶ)入りといって正月と盆に休みを与えられた。親元に帰れる日として、藪入りが近づくと、奉公人はみな一日千秋の思いで待ちわびたというイメージがある。

もちろん、今でも労働者にとって休日は極めて貴重だ。暦通りの休日を取れる人は、そうでない労働者から見ると随分恵まれているように見えるし、有給休暇をきちんと消化できる人もどの程度いるか。休日などほとんどない、という実感を持つ人さえいるはずだ。

とはいえ、休日数は一般に格段に増加している。平成二十一年の暦から単純に日曜祝日だけを取り出しても六十八日、週休二日の会社なら約五十日がそれに加わる勘定だ。これだけ休日が増えると、休暇というものの持つ意味も昔とはまるで変わっていると考えるべきだろう。江戸時代までさかのぼって比較する必要はない。高度経済成長期あたりと比べても随分違うはずだ。

少し極端なケースを考えると、仕事が生きがいで、"家庭には居場所のない"ような古いタイプのお父さんたちにとっては、「余暇」とも言えないような、あまりに長い休日はむしろ困惑の種ではないか。そのような人たちにとって、先に触れた不況に伴う強制された長い休暇では、二重の悲哀を味わうことになりかねない。

仕事以外の生きがい、あるいは趣味の分野で充分有効に使っている、と自信を持って答えられる人も少なくはないだろうが、日本人の多くはまだ"自由"な時間の本当に有効な利用法を身に付けていないように思われる。

"自分の時間"をどう生きるか――これはまだまだ開拓の余地のある問題領域だろう。それぞれの人の資質に左右されるにせよ、人生の意味に正面から向き合う貴重な時間にもなり得るのである。

宗教の側から見ると、例えば寺を拠点とした文化活動や社会活動などは、そうした人たちをより深い仏教の世界に近づける窓口となり得るだろう。社会貢献や公益性の議論はともあれ、教化の可能性を秘めた方向と考えることができるのではないか。

寺が主導して活動の形を提示するばかりではない。その種の活動に場所を提供しつつ何らかの形で関与することでも充分意義があるだろう。

多くの人が有り余る"自由な時間"に直面する時代、それは宗教の存在が試される時代でもある、と考える。