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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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柩に納められた曹洞宗の血脈図

2009年4月16日付 中外日報(社説)

「家族に見守られ、眠るような旅立ちでした。母○○○○は、真面目で気丈な人でした。生前は趣味だった絵画や手芸、茶道などを楽しみました。周りから愛され信頼された母に、心より『お疲れさま』と伝えたいと思います」。先ごろ関西のある典礼会館で配られた「会葬御礼」の一節である(原文には句読点は入っていない)。

典礼会館側は「型通りの書状を配っても読まずに捨てられてしまいがち。喪主のご心情が率直に表われたオリジナルの文面を、参列の皆さんに読んでいただこうと思った」と言い、昨年十二月から、通夜の段階で喪主と協議、故人の人柄を偲ばせる印刷物作りをしているという。

この日送られたのは曹洞宗檀徒の女性で、導師は兵庫県加西市常泉寺の森良彦住職だった。葬儀に先立って「きょうは曹洞宗の作法でお授戒させていただきます。ソウドウ(騒動)宗ではありませんよ」と挨拶して座を和ませ、会葬者の労をねぎらった上で導師席に着いた。

読経が終わると、一枚の紙を喪主に渡した。「これはお釈迦様から達磨大師、道元禅師、曹洞宗歴代貫首を経て拙僧、さらにお母様に至る『血脈図』です。お釈迦様以来の仏法が、お母様に伝わりました。柩の中のお母様の胸の上に置いてあげてください」。これで故人は仏弟子として旅立つことができる、と教えたわけである。

居合わせた故人の親族たちは「叔母さんが亡くなったのは寂しいけれど、心が安らいだ。いいお葬式だった」と話し合った。

昨年八月七日の本欄で、ある典礼会館での葬儀の際に、導師が会館職員の促すままに行動し、喪主や遺族には声も掛けずに退堂した経過を「ご導師、後ろを振り向かれては」と題してお伝えした。各方面から、共感のお便りをいただいた。このたびの葬儀でオリジナルの「会葬御礼」配布や、導師からの温かい呼び掛けがあったことに、変化の兆しを感じさせられた。

血脈図の授与について森住職は「私の寺独自のアイデアではなく、他の曹洞宗寺院でも授けておられると思いますよ」と語る。しかし最近まで同宗の『行持軌範』に在家の葬儀法が入っていなかった実情に照らして、全寺院への普及は今後の課題であろう。

長年、曹洞宗の布教師を務めてきた福島県伊達市・興国寺の辻淳彦住職は「曹洞宗とは『お血脈信仰の教団』であると私は言っている。『血脈』を授からなければ成仏は成り立たない」と語っている。

血脈図を授かる側からすれば、送られる故人が釈尊以来の仏の世界につながることに、心の安らぎを覚えるであろう。時代も宗派も違うが、かつて浄土真宗の佛光寺教団が、派祖真佛上人以来の法脈につながる絵系図を授与して教線を広げたことを連想する。

先日の朝日新聞の「こころ」欄で、全日本仏教会の松長有慶会長がインタビューに答えて「アカデミー賞の映画『おくりびと』に宗教者が登場しないのを残念に思った」と述べ、さらに僧侶抜き、無宗教のお別れの会が広がる風潮を嘆いて「僧侶こそ『おくりびと』になるべきだ」と強調していた。

「亡くなった人はお墓にはいない、との歌がヒットするのは、葬儀が形骸化しているからだ。本当は死者の成仏の儀礼のはずが、生者の側の世間体を重んじる行事になっているところに問題がある」とも。このインタビュー企画は、三月五日付本紙が高野山真言宗春季宗会で、松長氏が同宗管長として述べた「垂示」を伝えたことに触発されたものと聞く。

葬儀こそ、結縁の好機の一つといえよう。葬儀を再び宗教者の手に取り戻そうとの動きが始まっている。手前みそではあるが、本紙の記事が何らかの参考となるならば幸いである。