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百点満点報道を目指したはずが

2009年4月11日付 中外日報(社説)

「毎号、百点満点の記事が一つあればいい。あとは五十点、六十点のが並んでもいいんだ。全部七十点、なんていうのが一番よくない」。昭和三十一年、新潮社取締役だった齋藤十一氏(故人)は『週刊新潮』の創刊に当たり、こう言って編集部員を叱咤した。『週刊朝日』は正道を行けばよい、『週刊新潮』はバイパスを進む、とも。

「売れる雑誌より買わせる雑誌を作れ」に続き「人権よりもっと大事なものがある」とか「他人のことを考えていては雑誌はできない。オレは(自分が)何を読みたいかだけを考える」など、編集会議で齋藤氏の演説は、とどまることを知らなかった。

週刊誌といえば新聞社系のものしかない時代に、初の出版社系週刊誌の登場だった。新聞社系の各誌は、新聞の見出しに倣って二行のタイトルをつけていた。齋藤氏は命令した。「タイトルは一行でよい。端的に内容が分かる言葉を選べ。それが読者にインパクトを与える」

新聞社のような取材能力のない出版社が週刊誌を出しても、すぐタネ切れになるだろう。「三ヵ月持続すれば上々だ」との声も社内にあったらしい。だが『週刊新潮』は、先発の新聞社系をしのぐ勢いで部数を伸ばした。"トップ屋集団"と呼ばれた草柳大蔵氏のチームが、徹底的な取材によりバイパス的なニュースを発掘し続けた。航空機事故が起こった時、各紙誌は悲しみの遺族を訪ねる伝統的手法に終始したが『週刊新潮』は問題の便に乗り遅れて命拾いした人々から取材しまくった。

齋藤氏の手腕とひらめきの素晴らしさについては、平成十九年二月十七日付の本欄に、その一部を紹介している。

創刊から五十三年、『週刊新潮』は齋藤氏の"百点満点"の記事を報道し続けているだろうか。いま問題になっているのが、一月下旬から二月中旬にかけて発売された号の"目玉記事"だった「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した」との実名告白記事である。

昭和六十二年五月三日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に侵入した男が散弾銃を発射、記者一人が死亡し、別の記者一人にも重傷を負わせた事件は、すでに時効となっているが「あの事件の実行犯は私だった」と六十五歳の人物が手記を寄せた。誰もが読みたくなる記事で、手記の掲載誌は「買わせる雑誌」として売れに売れたらしい。

これに対し朝日新聞は、手記に示された内容を克明に検証した結果、現場に残された物証と合わない点が極めて多かったとするリポートを、四月一日付の紙面で詳報した。リポートによると朝日新聞社は『週刊新潮』側に、疑問点についての詳細な質問書を送ったが『週刊新潮』は「小誌の見解はすでに誌面に掲載しております」との回答しかしなかったという。

これについては読売新聞も「読売新聞を始め、他のメディアの取材にも明確な回答を示していない」と報じた。しかも手記の主とされる人物は、一部紙誌の取材に答えて「自分の発言が真意と違う伝えられ方をした」と述べたと報道されている。このままでは週刊誌全体の信頼性に影響する、との声が吉岡忍氏らノンフィクション作家から出ているほどだ。

週刊誌の記事では「事実無根」「名誉毀損」との民事訴訟で、週刊誌側の敗訴が相次いでいる。最近では大相撲八百長説に関して四千万円を超す賠償金の支払いを命じられたケースもあった。『週刊新潮』に限らず、すべての週刊誌編集者が、報道の原点に返って自戒すべきであろう。齋藤氏は「読者が買いたくなるような雑誌を作れ」とは言ったが、中身はどうでもよいとは言わなかった。

仏教各派が常に釈尊の、宗祖の原点を見つめ続ける姿勢に学ぶことはできないであろうか。