ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

戸締まりしても続発する空き巣

2009年4月9日付 中外日報(社説)

筆者の故郷は、戦前は人口が千人を超えていた。高知県のリアス式海岸にすがり付いたような漁村で、毎朝、船団が帰港すると、村人総出で漁獲物を運び揚げた。漁民はもともと、声が大きい。その大声が、朝ごとに浜に響き渡った。

海岸に面した東側を除いて北、西、南の三方向は山に囲まれ、細い道が数本、隣村に通じているだけである。顔なじみでない人が入って来たらすぐ分かる。そんな環境だから、夜も昼も戸締まりをする家はほとんどなかった。

道端の木の果物が色づくと、子どもたちは「おんちゃん(おじさん)もらうぞね」と叫んで、一個だけもぎ取る。一人で何個も取ることはしない。それが村のルールなのだ。

「和尚さんと大夫(たゆう=宮司)さんには、あげたい金額の二倍包め」が、村の長老の口癖だった。宗教者は商売で巨利を稼ぐ機会がないから、それなりの配慮をすべきだ、というのである。

だが戦後、村の人口は年を追って減少した。沿岸漁業が衰退し、男たちは職を求めて県外の有力な漁港へ移り、やがて妻子を呼び寄せる。筆者が先日帰郷した時は、高齢者を中心に約三百人が残っているばかりだと聞いた。

他県へ出稼ぎ中の留守宅には、どこも厳重に鍵がかかっていた。金銀財宝があるわけでもなかろうが、だれかに入り込まれ火の不始末でもされたら困る、という。郵便受けに押し込まれた行政からの「お知らせ」の紙は、いずれも色が変わっていた。

皮肉なことに、居住人口の減少と反比例して、道路工事は進み、周囲の隣村とは車で行き来できるようになった。いい意味で閉鎖的だったムラ社会が、広域的な"くるま社会"に組み込まれたのだ。

かつて筆者の祖父母たちが学んだ小学校には、十人前後の児童の姿しか見えない。居合わせた校長は「二年後には隣村の小学校に統合されることが決まっています」と寂しく笑った。恐らくこの人が、最後の校長になることだろう。

先日の朝日俳壇には金子兜太選で「入学の五人に村を託したり・和城弘志」の一句があったが、五人も新一年生がいるとは、うらやましい限りだ。

では、過密の東京はどうだろうか。四月号の『潮』誌に、作家の篠田節子さんが要旨次のようなエッセーを寄せていた。マンション住まいの独身女性、それも企業の管理職、学者、新聞記者たちが、立て続けに空き巣や居直り強盗に襲われるというのだ。

最新のマンションは、エントランスと個室と、二重の扉で守られている。しかしその道のプロは、いとも簡単に忍び込む。

ある女性は外出先から帰った時、高級家具を運び出そうとしている男たちを見て、よくよく見たら自分の持ち物と分かり、大声を上げたら、男たちは逃げ去った。もし在宅中に忍び込んで来た時は、相手は居直り強盗に急変する。「マンションでは、エレベーターに乗るのが怖い」と言う女性もいた。

これらの一部高級マンションは、個室が厳重に守られているため"隣人の目"が届かず、かえって犯行に及びやすいのではないか、と篠田さんは記す。

これに対し、篠田さんの住むマンションは、戸締まりはさほど厳重ではない。ベランダには洗濯物がひるがえり、布団をたたく音が響き、エレベーターは子どもの立体鬼ごっこの場になる。篠田さん自身もパジャマの上にフリースジャケットを羽織ってゴミ出しをすることがあるが、空き巣や強盗騒ぎは一度も聞かないそうだ。

戸締まりをする家は一軒もなく、宗教者には心づもりの二倍のお布施を包んだ時代の筆者の郷里は、篠田さんの住むマンションの雰囲気と一脈通じるものがあるかもしれない。