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ビジョンを示すべきなのは誰か

2009年3月24日付 中外日報(社説)

昨年秋であったと記憶する。各紙の報道によると、その年就任したばかりの橋下徹・大阪府知事が教育委員と話し合った時「ビジョンは?」と問い詰めた。だが明確な答えがなかったためか、その直後に任期を迎えた教育委員は再任せず、ほかの人物に入れ替えた。ちょうどそのころ発表された全国学力テストで、大阪府は小学校も中学校も最低レベルだったため、橋下知事は「なんたるざまだ」と語ったとも伝えられた。橋下氏としては、某県の知事のように「どげんかせんといかん」と考え、教育委員の入れ替えとなったのかもしれない。

教育委員は首長が任命する建前だから、知事が自らの人選で新しい陣容に入れ替えるのは当然のことである。しかし前任者を辞めさせた理由が、ビジョンを語らなかったことにあるとしたら、間違っていないだろうか。むしろビジョンを提示すべきなのは、任命権者の知事だったのではなかったか。

人口十万余の市の教育委員を務めたことのある筆者の友人、A君は「橋下さんは、レイマン(素人)コントロールの原則をご存じないのではないか」と批評していた。教育委員会とは、教育の専門家でない人が、首長なり教育委員会事務局なりの作った素案の説明を受けて、その可否を判断する。素人の感覚で論議してこそ、教育が"専門バカ"に陥るのを防ぐ道なのだ、と言う。

「例えば橋下さんは、百マス計算の専門家を新しい委員の一人に任命した。だが大阪府の教師に聞くと、大阪の児童は百マス計算はそこそこやれる。欠けているのは応用問題を解く力です。この人選には疑問を感じますね。それに専門家を起用するのは、レイマンコントロールの原則に反するのでは……」。こうした視点からの論評は、筆者の知る限りでは、極めて少ないように思う。

さて、六年ほど前であったと記憶する。動物生態学研究者の中村方子さんが、日本経済新聞のコラムに寄稿していた。当時小学生だった長男が初夏に「今、身近に咲いている花は何ですか」というテストに「シロツメクサ」と書いたら、バツだった。教師に聞くと、正解はホタルブクロだという。なぜかと尋ねたら、テスト用紙を売り込んだ出版社の模範解答が「ホタルブクロ」となっていたから。しかもその教師もクラスの児童の大部分も、ホタルブクロを見たことがない。シロツメクサなら、中村さんの住まいに近い東京都世田谷区の空き地に、たくさん咲いていたのに。

そのことをA君に話したら「同じようなことが、ほかにもある」と言う。例えば「冬が終わるとどうなりますか」という設問。模範解答が「春になる」であるのは当然として、ある児童の「氷がとける」という答えはバツにされかねない。「冬が終わったなあ、氷がとけてしまったなあ」という、北国の児童の実感は、模範解答の論理に押しつぶされることになる。

中学生になって「水は零度で氷になる。百度で沸騰して水蒸気になる」と書いたのでは正解にならない。百度で沸騰するのは「標準気圧のもとで」と書き添えることが要求される。では気圧とは何だ、ヘクトパスカルとはどういう単位だなどの声がかかると、せっかく面白くなりかけた理科の授業が、とたんに煩わしくなってしまう。気圧のことは、学習が進んだ段階で、あらためて教えたらよいことなのに。

「"専門バカ"的感覚が授業を、そして教科書をつまらなくしている。教室を楽しい場所にすれば、学力テストの成績もおのずから向上しますよ。年度の変わり目はそれを考え直すよい機会だ。橋下知事に期待します」とA君は言う。さらには、すべての学科の基本である道徳の教育についても「橋下ビジョンは」と聞きたいそうだ。