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太平洋の小国の「三・一」の記憶

2009年3月12日付 中外日報(社説)

歴史の記憶は国や民族、あるいは人によってもまるで異なる。「三・一」の記憶も、その一つだろう。

一九五四年三月一日、米国が中部太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で水爆実験をした。マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばく、乗組員の久保山愛吉さんが死亡した。日本では「ビキニ・デー」として、その不幸な出来事が歴史に刻まれている。原水禁運動が始まる契機になり、今年も核廃絶を訴える催しが静岡市などで開かれた。

一方、実験場となったマーシャル諸島共和国では、「三・一」を「ブラボー・デー」と呼び、首都マジュロで毎年行なわれる核被害者追悼の催しに同国の政府関係者らも出席する。「ブラボー」は米国が付けた水爆の名だが、この実験で同諸島の多くの人が被ばく死したことに日本ではあまり関心を向けてこなかった。「三・一」の催しもほとんど知られていない。

大阪の「アジアボランティアセンター(AVC)」は、同諸島の被ばく者への支援活動を行なう数少ないNGOの一つで、マジュロでの催しに八年前から欠かさずスタッフのAさんを参加させている。「ERUB(エラブ)」という名の女性中心の被ばく者団体との交流を深めるためだ。「ERUB」は実験で「死の灰」が降り注いだエニウェトク、ロンゲラップ、ウトリック、ビキニの四環礁の頭文字をとった。

「初めて参加した年は、会場に被ばく者が四十人くらいいましたが、年々減って、今年は二十人弱。親しかったエラブのメンバーの一人も昨年十月に亡くなりました。彼女の遺体は、放射能汚染された故郷のロンゲラップに帰れず、マジュロに埋葬されています」。帰国したAさんは、寂しそうに話していた。

同諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で米国は、一九四六年から一九五八年まで計六十七回もの原水爆実験を行なった。中でも「ブラボー」は、広島原爆の一千倍の威力だったとされ、風下に住んでいた多数の住民が被ばくした。女性たちの死・流産、異常出産や甲状腺障害など深刻な放射線後遺症は、三世代を経た今の子どもたちをもむしばんでいることを以前にこの欄で紹介した。しかし、その実態は詳しく調査されないまま、被ばく第一世代が高齢化もあってひっそりと死んでいるわけだ。

日本でも「第五福竜丸」のほか実験海域付近で延べ約一千隻ともいう日本の漁船や貨物船が被ばくし、多くの乗組員が健康被害を受けた可能性がある。だが、新聞報道によると、さほど社会的に注目されることはなく、また日本政府にも調査する動きがないため実態は不明だ。

共に平和を願いながら、平和を乱す非人道的な行為の被害者になった人々の痛みを共有するのは容易なことではない。前述のAさんは、以前にエラブの集いに参加した際、被ばく女性の一人から「何度か日本に行き、自分の辛い体験を話してきましたが、私の話はいったいどこに消えてしまったのですか」と問われて返す言葉がなかったという。

マジュロでの今年の催しには約二百人が参加、終わりの方で地元の青年グループが、被ばくした島民の苦しみと故郷の島を失った悲しみを訴える劇を演じた。劇の締めくくりは「すべては神の御手に」というキリスト教の言葉だった。

「マーシャル諸島は、人口約六万人の小さな島国です。産業がなく、温暖化で"沈む島"の脅威を抱え、被ばくの痛みを引きずってもいて閉塞状況。心の面でも救済を求めているように思います」。Aさんは、そう話している。

同諸島は第一次大戦後に日本が統治し、太平洋戦争の激戦で多くの島民を犠牲にした。今もお年寄りの中に日本語を話す人がいる。しかし、島内にキリスト教会はあっても仏教の寺院があるという話は聞かない。