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窮民救済の精神

2009年2月5日付 中外日報(社説)

三帰依は、言うまでもなく仏・法・僧の三宝に帰依することである。帰依するというのは仏教の聖典用語のパーリ語では、サラナム・ガッチャーミー。原意は「私は避難所(シェルター)におもむく」であるから、もと三宝はわれわれが窮乏したときの心身のよりどころである。事実、かつてのインドにおける僧院は困窮者や病人などの救済所でもあった。

その伝統は、わが国では光明皇后(七〇一~七六〇)や叡尊(一二〇一~九〇)、忍性(一二一七~一三〇三)その他多くの仏者たちの輝かしい事跡に見ることができよう。

聖武天皇(七〇一~七五六)の皇妃の光明皇后は、施薬院を設けて病人を救済し悲田院に孤児を収容した。叡尊は鎌倉中期、真言律宗の開祖。窮民救済に生涯を尽くした。文殊菩薩は自ら貧窮、被差別、孤独、苦悩の衆生の姿をとって現われる。慈心を行ずる者は、この菩薩を感得して窮民に恵むのは菩薩に供養することだとして慈善救済活動をしたのだった。

叡尊を師とした忍性は永仁二年(一二九四)に聖徳太子(五七四~六二二)建立の四天王寺の別当となり、敬田院などの四院を再興。救貧、施療に尽くした。また鎌倉極楽寺を開山して、病宿、癩宿、薬湯室、療病院、坂下馬療屋などの救療施設を併設した。道路の修築、架橋などの社会活動もある。世に医王如来、生身(しょうじん)如来として崇められたゆえんである。

ところで、昨年十二月二十三日付朝日新聞の読者投書欄に「困窮者たちをお寺救えぬか」という一文が載った。

「昨今、心を痛める問題が多すぎる。ニュースで解雇された若者がわずかな荷物を抱え寮を出て、公園で一夜を明かす姿があった。

それにしても日本の仏教界はこの現実をどう見ているのだろう。ニューヨークなどでは教会が率先してホームレスに食事を提供しているではないか。

日本でお寺が早々と困っている人たちに炊き出しをしたとか、境内にテントを張って避難場所を提供したという話を聞いたことがない。ここらでお寺が困っている人たちに手を差し伸べ、仏の志を示して欲しい。お釈迦様は衆生を救うためにこの世に生まれたのではなかったか(要旨)」と。

これに対して、「お寺も救済に人知れずさまざまな活動をしている。だが、僧侶は一般的にこれらの行動をPRしないため社会にはあまり知られていないようだ」として、寺院の社会活動の実例を紹介した投書があった。

最初の投書には反響が少なくなかったようだ。今年になってからも「神社や仏寺は困窮者傍観か」という再投書があった。

「昔は神社仏閣が炊き出しや寝場所を提供し、弱者救済を率先していたように思います。

一般企業とは違い、宗教団体は身を削ってでも弱者救済を本務としなければならないのに、現状は全く異なる行動パターンになっていませんか。労働組合や市民団体だけが頑張っている現状を宗教団体はどう考え、行動しているのかを報道するのもマスコミの責任です」とある。

宗教団体の社会的活動は一般にマスコミには紹介されにくい、という残念な現実があることも投書者には知ってもらいたいのだが、こうした市井の声を宗教界はやはり頂門の一針として謙虚に受け止めるべきではないか。

困窮者が街にあふれ出ているような不況下の今日的状況に対して、宗教界は全国的に救済の実働をしているかどうか。第三者の立場から真剣に問い質されるまでもなく、われわれが自らの立場を明らかにし、それに基づいて実践するのは急務であるというべきだろう。

冒頭にも指摘したように、特に仏教は歴史に残る社会活動を行なってきたのである。それらの先徳の事跡を踏まえて二十一世紀の今日、緊要な利他行である社会活動を展開してゆけば、それは仏教復興につながってゆく道にもなるはずである。