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阪神の大震災で救えたはずの命

2009年1月29日付 中外日報(社説)

平成七年一月十六日夜、筆者の元同僚のA君は大阪キタの飲食店街で酒を過ごし、泥酔状態で神戸市東灘区の自宅へ帰った。玄関に倒れ込んだまま、眠りかけた。それに気付いた夫人が二階へ引き上げ、ふとんをかけて寝(やす)ませた。その数時間後に阪神・淡路大震災が起こり、A君の家は全壊した。

もし一階の玄関で寝込んでいたら、押しつぶされ即死していたことだろう。A君はそれ以後「女房に頭が上がりません」と言い続けている。

一月十七日の震災の日を中心に、大阪発行の各紙は朝刊も夕刊も、紙面を動員して地震関係の特集を組んだ。それぞれに有意義な内容であったが、A君の被災体験を知っている筆者には「震災死八割 倒壊による圧死でした」の見出しで報じられた一級建築士、Iさんに関する朝日新聞の記事が印象的だった。

神戸市役所の建築技術職員だったIさんは、専門家でありながら、木造二階建ての自宅が地震に弱い構造であると気付かず、十七歳だった長男を失った。息子が家の下敷きになったのは自分の責任だと、自らを責め続けた。

鉄骨・鉄筋関係の建築が専門だったIさんは、その後、耐震診断士の資格を取得し、木造家屋関係の指導にも当たってきた。そして昨年、神戸市の建築業者団体の頼みで講演し「震災犠牲者の八割が、家屋倒壊による圧死だった」と研究成果を発表した。その言葉には「耐震改修が行なわれていたら、大部分は救える命だった」との反省がこめられていた。

なぜこの記事に注目したかというと、筆者自身が建物の下敷きになったことがあるからだ。わたくしごとであるが、六十四年前に広島で原爆に遭った。旧制中学校四年生在学中で、木造校舎の二階に、二十六人がいた。爆心から一・五キロの場所である。校舎は瞬時に倒壊した。

崩れ落ちた梁(はり)の下敷きになった一人が即死したが、残り二十五人は屋根を越えて外へはい出すことができた。しかし、一階にいた先生や職員は、全員が助からなかった。

筆者たちにとって幸いだったのは、被爆の数日前に二階の部屋の天井が撤去されていたことだ。なぜ撤去されたかというと、焼夷弾攻撃を受けた時、天井に引っ掛かり、気付かぬうちに炎上する恐れがあるとされた。もし天井が筆者たちの上に覆いかぶさっていたら脱出が遅れ、火の手が回ってきた時に焼死者が出たかもしれない。

地震と原爆と、事情は違うが、木造建物の怖さは共通している。阪神・淡路大震災でも、天井が脱出や救出の妨げになった例があったのではないか。

震災のたびに問題になるのが、寺院の本堂の屋根の重さである。北陸各地の震災にも共通する現象だが、大きな本堂ほど瓦屋根の重量を支え切れずに倒壊した例が多かった。復興に当たっては耐震構造に配慮し、瓦の軽量化を図るなどの努力がみられる。

阪神間では、こんな例もあった。兵庫県寄りの大阪府の寺院で、本堂はなんとか持ちこたえた。しかし建築専門家に診断してもらうと、あと一歩で全壊というほど傷めつけられていた。全面解体修理を勧められたが、周辺の檀家は大多数が倒壊している。「とても寄進をお願いできる雰囲気ではない」と住職は肩を落とした。その後、その寺を訪問していないが、どうなっただろうか。

その近くのキリスト教会では、鉄筋コンクリートの鐘楼塔に細かいヒビが入ったため、取り壊した。信者数の少ない同教会は以後十四年間、鐘楼なしで過ごしている。宗教界の完全な復興はいつのことか。

自宅を再建したA君は再び、時に飲み過ごすようになった。A君のような人こそ、震災の怖さを語り伝えるべきなのに。