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"酔芙蓉さん"を偲ぶヘンロ小屋

2009年1月20日付 中外日報(社説)

昨年五月二十二日付の本欄で、四国八十八ヵ所の遍路道沿いに"ヘンロ小屋"を建てようとするプランを紹介した。建築家で近畿大学教授の歌一洋さんが、幼いころ徳島県の実家の両親が遍路に"お接待"するのを見て育ったことから、八十八ヵ所を"歩き"で回る人々に憩いの場を提供しようと思い立ち、八年前から始まった。

霊場の数より一つ多い八十九ヵ所を、との目標に対し、すでに二十八ヵ所が完成したとお伝えしたが、その後も建設が続き、今月二十四日には三十一番目のヘンロ小屋「そえみみず・酔芙蓉」が高知県中土佐町久礼(くれ)長沢の現地で完成式を挙げる。

これまでの小屋は、歌教授の設計図をもとに、有志の持ち寄った寄付金や、企業のメセナ活動により建設されてきたが、「そえみみず」は故・石橋敬子さんの兄弟姉妹による"一寄進"で建てられた。

大阪府東大阪市に住んでいた石橋さんが熱中症のため、そえみみず遍路道で倒れたのは、平成十五年七月の暑い日だった。石橋さんは、亡父の遺品に四国霊場の手ぬぐいがあったことから、追善供養のため四国巡拝をすることを決意、大阪の旅行社が企画した「ウォーキング・ザ・空海」に参加した。このツアーは"歩き"の巡拝が中心だが、霊場と霊場の間隔が極端に長いところはバスで移動することにしており、短い時日で効率よく回れる日程が組まれている。

「そえみみず」と呼ばれる遍路道は、土佐湾沿いの中土佐町から、第三十七番岩本寺のある四万十町の高原地帯へ一気に登りつめる急坂で、途中には六百㍍前後の山並みを越す峠道もある。初参加の石橋さんは、その難所で倒れた。

ツアー仲間は石橋さんに駆け寄り、肩を貸したり、あおいで風を送ったり、障害物を取り除くなど、力を合わせて介助した。石橋さんを助けることで、ツアー仲間の心が一つになった。ツアーの参加者は、旅行が終わるとそれで終わりとなりがちだが、このグループは「またご一緒に」との家族意識で結ばれた。

みんなの助けで石橋さんは、このツアーに続いて翌年の"逆打ち"ツアーも結願することができた。自宅で石橋さんは、毎夜ウオーキングして体を鍛えたが、その後も遍路道の難所では仲間から支えられることが多かった。

酒好きの石橋さんは、ツアーの宿で杯を持つと、ほんのりと頬を染めた。だれ言うとなく「酔芙蓉」のニックネームで呼ばれるようになった。その石橋さんは以前に手術を受けた乳がんが再発、三回目のツアーに参加することなく、平成十八年七月三十日、六十九歳で死去した。

石橋さんは、亡き父が創設した会社で経理を担当、終生独身だった。父の跡を継いだ弟・勝一さんら兄弟姉妹は、お四国を愛し抜いた石橋さんの記念碑的なものを作りたいと、ツアーのガイド役、梶川伸さんに相談した。梶川さんは元毎日新聞記者で、歌教授を支える組織「『四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト』を支援する会」の副会長でもある。この会の会長は、元朝日新聞記者で、日本エッセイスト・クラブ前理事長の辰濃和男さん。"歩き遍路"を続けている。

梶川さんの助言で勝一さんたちは百万円を拠出、石橋さんゆかりの「そえみみず遍路道」の登り口にヘンロ小屋を建てることを決めた。完成式後は、管理を委託するため中土佐町役場に寄付をする。

二十四日午後三時からの完成式には歌教授、勝一さん、梶川副会長をはじめツアー仲間約二十人のほか、町役場代表や町民の有志らが参列。酔芙蓉一株が記念植樹されることになっている。順打ちでこれから登る人も、逆打ちで下って来た人も、それぞれがここで一休みして、亡き"酔芙蓉"さんを偲んでほしい。