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就労の多様化が招いた派遣切り

2009年1月10日付 中外日報(社説)

懸念していたとはいえ状況の悪化は想像以上に急激で深刻なようだ。非正規社員の大量失職である。

突然仕事も住む所も失った労働者の悲痛な声が頻繁に報道され始めたのは、昨年も年末にかかるころだった。ワーキングプアなど「労働破壊」を警告する意見は以前から聞かれたが、一気に噴出した「派遣切り」は、言葉自体にも実に冷たい響きがある。

慈悲の心を失った社会の行く末は危うい。ちょうど十四年前の阪神・淡路大震災では、家を失った被災者に避難所や仮設住宅が用意されたが、生活の再建は長引いた。その苦い経験も踏まえ、苦境に陥った人々に等しく救いの手が差し伸べられることを切に願う。

もとより今の景気の急落は米国発の金融危機が引き金で、世界的な広がりを持つ。不況による、特に若者たちの就職難、低賃金は各国に共通しているようだが、日本の場合特徴的なのは一九九〇年代末期以降、急速に労働の規制緩和が進み、派遣労働でいうと小泉政権時代の二〇〇四年に対象業種が製造業にまで広がった。それも「労働ビッグバン」「働き方の多様化」など夢を持たせる耳触りのいいスローガンが動員されたことだろう。非正規社員は、いまや雇用労働者の三人に一人にまで膨らんでしまった。

日本経済は昔から層の厚い中小零細企業と社外工・臨時工が景気の調整弁にされてきた。その構図は何も変わっていない。派遣、パート、請負など働き方は多様化したが、その実態は企業の都合による「働かせ方の多様化」と言った方がいい。「派遣切り」が当然のような今の事態がその証しだ。

遺書を胸に自殺の名所、福井県・東尋坊に千葉県から鈍行列車で来た時には所持金が三百円だったという三十代の独身男性。人材派遣会社から契約の打ち切りと退寮を迫られ「死んだ方が楽」と思ったという(朝日新聞記事から)。

カメラメーカーを解雇され、年の瀬に所持金二千円しかないという三十代の請負労働の男性。大阪出身で離婚歴があり、生活保護を申請したが、受給できたとしても年を越してからと言われているという(毎日新聞記事から)。

この人々はどんな正月を過ごしたのだろうか。同じような厳しい立場に追い込まれた人々の悲鳴がメディアを通して聞こえてくる。日系ブラジル人など外国人労働者は、さらに過酷な扱いをされているようだ。もともと非正規社員は社内でも一段低く見られ、賃金や待遇面で差別されてきた。それに異議を申し立てれば多くの場合、たちまち仕事を失う。

自分の意見を言いたくても言えず、そして不況になれば真っ先に解雇される。ずいぶん理不尽な社会ではないか。

「ナチの収容所では足を切った人間が 切られた人間を笑ったという(中略)ある療養所では 義眼を入れ かつらをかむり 義足をはいて やっと人の形にもどる 欠落の悲哀を笑ったという 笑われた悲哀を世間はまた笑ったという笑うことに苦痛も感ぜず 嘔吐ももよおさず(中略)ごく自然に笑ったという」(編集工房ノア発行『希望よあなたに-塔和子詩選集』から抜粋)

作者の塔和子さんは十三歳の時ハンセン病を患い、以来六十余年国立療養所大島青松園(香川県)で過ごしている。筆者はこの作品を読んだ時、なぜか「派遣切り」という言葉を連想した。世に同根の冷淡さを感じるのは飛躍だろうか。

話を戻すと阪神・淡路大震災で生活再建が遅れた一因は、仮設住宅の立地などで被災者の立場が顧みられなかったことにあった。「派遣切り」も、その立場に置かれた労働者の身になって対策を考えることが大事である。以前、この欄で「今の日本はすべり台社会」という主張があると述べた。何か不運があると、とめどもなく転げ落ちる。つまるところ、思いやりの心が欠けているからだろう。百年に一度という大不況。百年に一度の菩薩行が望まれるところだ。