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心豊かに生きた橘曙覧の独楽吟

2008年12月20日付 中外日報(社説)

「懐手悠々自適とはゆかず・竹内立」という俳句に接した。大阪府寝屋川市・法華宗本門流正立寺の寺報『サットバ』の俳句欄の作品である。

川口日空住職は「作者はいつも和服を着用されているのだろうか。『懐手』からは、いかにも好好爺の自由闊達な悠々自適なさまが連想されるのだが、なかなかそうはいかぬのが人生ですよと、作者は哀感をただよわせられている。たしかに最近は、高齢者には痛苦のおおい世の中になった感じである(後略)」と評している。

実に、厳しい年の暮れである。後期高齢者が「悠々自適とはゆか」ない世の中になったと思っていたら、高齢者だけでなく、すべての世代に世知辛い状況になってきた。大企業は軒並み減産を迫られる。それが巡り巡って、町の小売店の売り上げに響く。

この時期に心の癒やしになれば、という本が刊行された。『樂しみは』と題して幕末の歌人・橘曙覧(たちばなのあけみ)が詠んだ独楽吟(どくらくぎん)と称する五十二首に、分かりやすい"自由訳"を付している。著者は「千の風になって」を世に広めた作家の新井満氏である。

独楽吟とは、すべて「たのしみは」を頭に置いて詠んだ一連の和歌のこと。福井城下の町はずれに住んだ曙覧の独自の歌風は、明治の歌人・正岡子規が「万葉集に学びながら、万葉調を脱している。(中略)源実朝以後、ただ一人の歌人である」と絶賛した。戦前の中学校や女学校の国語教科書に「たのしみはまれに魚烹(に)て児等皆がうましうましといひて食ふ時」や「たのしみは三人の児どもすくすくと大きくなれる姿みる時」などが掲載されたが、戦後は忘れられた形となっていた。

ところが平成六年に、天皇皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの締めくくりに「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用して、「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」と述べたことから、再び脚光を浴びた。

なぜクリントン大統領の周辺に独楽吟が伝わっていたのか。新井氏が作家・上坂紀夫氏のリサーチの成果として伝えるところでは、ドナルド・キーン氏が編纂した『日本文学選集』の中に独楽吟の八首が英訳付きで紹介されていた。

ホワイトハウスのスタッフの一人がこの歌に注目、クリントン大統領も共感して、日本を代表する詩文に「たのしみは」が取り上げられたという。

「定職と定収入のない曙覧に、お金や物はなかったが、時間だけはありあまるほどあった。(中略)曙覧は誰からもじゃまされず、好きな時に好きなことをして生きた」と新井氏は記している。

福井藩主の松平春嶽は元治二年、曙覧に「古典を教える師として余に仕えてくれないか」と求めた。だが曙覧は「花めきてしばし見ゆるもすずな園 田廬(たぶせのいほ)に咲けばなりけり」と詠み、辞退した。すずな(大根)の花が美しく見えるとしたら、ただの畑に咲いているからだ、という意味だ。「藁屋」と名付けた庵住まいから抜け出すことはなかった。

曙覧より約半世紀早く生きた越後(新潟県)の良寛は、長岡藩主の牧野忠精から「五合庵を出て、城下の大坊の住職に」と勧められた時「焚くほどは風がもて来る落ち葉かな」と詠んで拝辞、清貧を貫いた。良寛は出家で曙覧は在家だが、名利を求めなかった姿勢は共通している。

「独楽吟の生き方をすれば、あなたもまちがいなく幸せになれる」と新井氏は記す。だが、政治家や経営者が責任逃れをしてよいということにはならない。高齢者が懐手のできる世の中を来年こそ……。