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宇治十帖の地で立ち直りの契機

2008年12月16日付 中外日報(社説)

京都市右京区の京都光華高等学校(四條文子校長)は、真宗大谷派の関係学校である。いま二年生在学中の上田詠子さんにとって、平成二十年(二〇〇八)三月十六日は「私の人生において忘れることのできない一日」になった。

上田さんは、京都市内の公立中学校と京都光華高校を通じて、延べ四年間「不登校」を続けた。上田さんが長期の「不登校」に決別し、教室に戻ることを決めたのがこの日である。そのきっかけは自宅に近い「大河」、京都府宇治市を貫く宇治川の流れを見たことだった。

琵琶湖を水源とする宇治川は、驚くほどの速さで下流の大阪湾へ流れてゆく。川岸の石段に坐り、早春の光の中を流れてやまぬ水面を見つめて、上田さんは思った。「この大河は、この大河は遥か昔から夥(おびただ)しい数の人間の哀しみを、その流れにのせてきたように思えた。河の歴史の中で、河畔に佇んできた多くの人間の哀しみを、決して拒もうとはせずに」

耳に響く水音は、人間たちの悲哀の声そのものと感じた。突然「人生とはつらいものだ」という感慨が、上田さんを貫いた。抑え切れない涙が、頬を流れていた。自分の内部からひらめいたとも思えたし「大河の悲痛の叫び」が教えてくれたようにも思えた。

「人生とは、つらいものだ。だけどそれに堪えるのが生きることじゃないか」とも……。新しい力が自分の中に漲(みなぎ)ってくるのが感じられた。

家に閉じこもってひたすらに自分を責めた、無為としか思えなかった日々が、一瞬にして意味を持つものに昇華されるのを感じた。上田さんは決心した。「学校へ行こう。そして卒業しよう」。二学年下のクラスに一人交じり、新しいスタートをすることの不安はあったが、宇治川の瀬音が、打ち消してくれた。

「堪えるんだ、堪えるんだ。もがいてもがいて恥を晒(さら)しながらも堪えなければならない。それが人生だ」

上田さんは、四百字詰め原稿用紙二十五枚の手記を「波濤に立つ」と題して、宇治市が公募した第十八回紫式部市民文化賞に応募、選考委員特別賞を受けた。十一月十五日、宇治市文化センターでの贈呈式で、選考委員長の山路興造・京都女子大学講師は「素晴らしい文章力で、自分を見つめた作品だ」と絶賛した。

「自分は異常なくらいプライドが高いと思う」と上田さんは記す。小学校での成績は順調だったのに、中学校では一部の教科につまずいた。一年生の冬に「成績が落ちてしまう前に学業を放擲し、外部との連絡を断ち、家に引き籠もる道を選んだ」。友達との交流で紛らわすことのできる性格ではなくて、それが「不登校」につながった。

中学三年の十二月に、一念発起して教室に復帰、翌年四月、京都光華高校に入学した。しかし約一年後の三学期早々、再び学校に行けなくなった。「不登校」は、今年三月、宇治川の岸で水の流れを見るまで、さらに二年間続いた。

「不登校」の児童・生徒は小・中学校だけで十三万人近いという。上田さんは「私が自分をさらけ出すことで、同じ悩みを持つ仲間が立ち直るきっかけになれば」と、市民文化賞応募の動機を語った。

父母はもとより、心配をかけた中学校の先生にわびる上田さん。何のこだわりもなく、温かく迎えてくれた新しい同級生たちへの感謝。京都光華高校の先生方も相談ごとを、親身になって聞いてくれた。

上田さんが瀬音を聞いた川岸は「宇治十帖」で浮舟が"横川の僧正"に救われる舞台でもある。源氏物語千年紀の年に、仏縁を得たともいえる。「山門を出て不登校問題と向き合おう」と研修会の場で話し合った宗派もある。上田さんの例は、一つの示唆になるのではないか。