ニュース画像
開基の妙達上人像を開眼する五十嵐住職
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

精神の自律性

2008年12月9日付 中外日報(社説)

『仏遺教経』にいう。

「若しもろもろの苦悩を脱(まぬが)れんと欲(おも)はば当に知足を観ずべし。知足の法はすなはちこれ富楽安穏のところなり。

知足の人は地の上に臥すと雖もなほ安楽とす。不知足の者は天堂に処すと雖も亦、意にかなはず。不知足の者は富めりと雖も而も貧し。

知足の者は貧しと雖も而も富めり。不知足の者は常に五欲に牽(ひ)かる」

この仏説は「足るを知る者は常に富めり」「足るを知るは第一の富なり」、あるいは「吾、唯、足るを知る(吾唯知足)」といった古諺として人口に膾炙されている。

また、「五欲」とは人間のさまざまな欲望のことである。煩悩は一口に百八煩悩といわれるほどに仏説の煩悩論は委細を極める。

だが、これを要約すれば欲望(貪欲)・忿怒(瞋恚)・迷妄(愚癡)の三毒煩悩になる。われわれの心を損なうのを毒に例えたものである。

「煩悩深重」というように、煩悩は人間存在の免れ難い本能的な習性でもある。ただし、宗教的英知すなわち真実の智慧によってこそ浄化される、と説かれる。そのために仏道を修行する実践体系ができたといってもよいであろう。

釈尊の初期仏教教団では日常必備の三衣一鉢だけであって、それ以外の一切の私的所有は認められない。樹下石上の生活ができればそれでよし、とする。前掲の「知足」の徳が、それである。

ところで、人類は物質的な充足を求めてきた結果、科学技術文明が発達したといえよう。端的に言えば、そうした世界には常に不知足の欲望が渦巻いていると言わなければならない。

そして、科学技術の発達の一面にはプラス面とマイナス面が正比例するという陥穽がひそむということもわれわれは心得ておかねばならないだろう。後者は今日の地球温暖化、天然資源、特に化石燃料の枯渇、表土・森林の喪失、水・食糧の不足などの恒常化が深刻になってきているのが、それである。そして内質的には人間の欲望の増大、現象的には人口爆発が複合的に深くかかわっているのに気づかねばならない。

マックス・ウェーバー(一八六四-一九二〇)は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、資本主義の発達にはキリスト教の節倹の精神がはたらいていることを明らかにした。

ところが、今日の成熟した資本主義に対しては極端に過度な利潤追求を危惧する警告が見受けられる。現実にアメリカのサブプライム問題に端を発した世界的な金融危機あるいは格差拡大がさまざまな経済的、社会的問題を惹起している。

資本主義の発展は人間の欲望の無制限な解放が前提になっていることは言うまでもない。このような今日的状況にあって人間が生きてゆくための「標準点」ともいうべき「知足」を思い返すことは、至難であるかもしれない。

しかしながら、特定の生産者側の飽くなき利潤追求を指弾するだけでは済まないものがある。消費者である大多数の大衆もまた、努めて「知足」を順守し、自律的な節倹の精神に立ち返り、努めて生活の勤倹ができるような国民主体の精神運動を展開してはどうであろう。

宗教界にとっても、それは諸宗教に共通する精神の自律性を現代に再生させることでもあり、真の意味での現代における宗教再興の道にもつながるように思われるのだが、いかがなものだろうか。

再言するまでもないが、ウェーバーが説いた初期資本主義における節倹の精神にせよ、仏教の知足の誡告に含まれる精神の自律性にせよ、それはまさしく無限定な欲望の解放という現代の風潮――その結末は百年に一度ともいわれる世界的不況の到来だ――とは相剋し乖離するものだということだけは銘記したい。