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軍人勅諭に軸足置いていないか

2008年11月18日付 中外日報(社説)

昭和三十年代の初め、自衛隊員(自衛官)の募集は都道府県の地方課が担当していた。筆者が新聞社のある支局に勤務していた時、県の地方課長が支局長を訪ねて来た。「あなたの社で作っているニュース映画のフィルムを、ぜひ県に貸してほしい」

その映画を、自衛官募集の会場で上映すると聞き、支局長は即座に断わった。「そうでしょうね。おたくへ来る前にA社へ寄りましたが、やはり支局長さんに断わられました」。課長は苦笑して辞去した。

当時はまだテレビは普及しておらず、映画館で上映される新聞社制作のニュース映画が好評だった。各社とも頼まれれば、フィルムを無料で貸し出した。新聞の宣伝になるからだ。しかし自衛隊がからむと、どの社も冷淡になった。

敗戦後、二度と戦争はすまいと誓った日本国民。戦争放棄の第九条を含む新憲法を制定したのに、朝鮮戦争勃発とともに自衛力の必要性が論じられ、警察予備隊、保安隊を経て防衛庁が発足した。しかし憲法九条とのからみから、肩身狭い存在とされた。

国民の冷たい目に耐えながら、自衛隊員は災害のたびに出動し、救援活動を積み重ねた。阪神・淡路大震災をはじめ、水害や震災の現地で"菩薩行"を展開、愛される自衛隊の評価をかち得た。その一方で、軍事力も着々と強化され、防衛庁は省に昇格した。

そこへ今回の、前航空幕僚長の論文問題である。戦争の原因は中国・蒋介石政権の挑発にあり、日本はむしろ被害者だとの論旨に対し、野党はもとより与党からも批判の声が上がった。防衛関係者の中からも反対論が出る中で、本人は「言論の自由」だと主張して譲らない。もちろん多くの新聞は、自由のはき違えだと厳しく批判する。

それらの論評の中で、気になる点が二つあった。一つは、明治十五年に明治天皇が発した「軍人勅諭」の中に軍人は「政治に拘(かかわ)らず」とあるのを指摘した論文がある点だ。その部分を都合よく曲解した旧軍人が、国全体を無謀な戦争に引きずり込んだ。前空幕長の主張には、その轍(てつ)を踏む恐れがあるとの論旨である。

実はその言葉は、先行する「世論(せいろん)に惑わず」とセットになっている。戦時中、旧制中学生だった筆者は、配属将校から「世論にも政治にも左右されず、ひたすら天皇の命令に従えという意味だ」と教えられた。つまり「世論を無視せよ」ということだ。各紙の論評には、なぜかこのくだりに触れていないものがあった。

第二点はこれらの論評が「戦前の軍人が軍人勅諭を守らなかったから戦争が起こった」ととられかねない筆致を示していることだ。スペースの関係で書き尽くせなかったのかもしれないが、これでは軍人勅諭の都合のよい部分に軸足を置いて前空幕長を批判したことにならないだろうか。教育問題を論じる場で「教育勅語」を尊重する意見が出されても、賛意を表する向きは少ないのに。

前空幕長は現職にあった今年四月、名古屋高裁がイラクへの航空自衛隊派遣を違憲と認定した時「そんなの関係ねえ」と発言したという。三権分立による司法の決定を無視する態度である。こうした言動を政府・防衛省は見て見ぬふりをしてきた。今回の論文問題発覚後も、及び腰的な対応が目立つ。

戦前の政治家たちが軍人の暴走を抑え切れず、ずるずると主導権を奪われていった経過が想起される。まさかそうはなるまいとは思うが、同じ道をたどらないという保証はない。

戦前の村々では、寺の住職や郵便局長らを中心とした政治談義が盛んだった。しかし戦争の激化とともにいつしか大政翼賛会の大波に呑(の)み込まれてしまった。その歴史を考えるべきではないか。