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地域共助システムと寺院に期待する役割

2008年11月8日付 中外日報(社説)

半世紀、あるいは昭和二十年前後の社会状況と比べると、都市とその周辺の社会環境は大いに整備されている。今や日本中、どこの街へ行っても同じような建物、同じような服装と出合う。しかし、地方を旅行すると車窓を通して見るのどかな風景に、日本の伝統的な豊かさを再認識することもできる。

「環境考古学」という学問領域がある。その研究者の言によると、現在、日本全国の無線施設がある場所は、昔、のろしで交信していた立地に恵まれていたところであるという。これはなかなか興味深い指摘だ。考古学と同様、歴史を少しさかのぼって発掘すれば、連続性が見えてくるわけである。

その連続性を見失わないよう注意することも大切だ。自然との調和の中で形成されてきた環境が忘れられ、あるいは故意に隠されて、大きな災害をもたらす例が、世界的に起きているのではなかろうか。

アメリカ・フロリダで厳しい被害を受けたのは、もともと人間が住むことを避けていた低地が開発されてのことであったという。筆者の家の近くにも、昭和二十年代、台風のために一ヵ月以上、小舟で行き来をした地域があった。

今は石油エネルギーの恩恵で、電力による水のくみ上げが順調であるから、その地域が低地であることを意識しない人が圧倒的多数であろうと思う。行政の担当者もその歴史を忘却しているのではあるまいか、と恐れる。

地域共同体の構造は昔と比べ、全くと言ってよいほど変化した。古代以来、最も劇的な変化といっていいのではないか。その中で、見失われてはいけない生命線のようなものも、見えにくくなっている。いざとなったとき、頼れるものがすでに機能を喪失しかかっているのではないか。今の社会のシステムがうまく運行しているときはよいが、そのシステムに支障が生じたとき、何に頼ればよいのか。

話は変わるが、最近、NHKで「ご近所の底力」といった番組が好評を得ているようだ。仏教寺院は、もともと地域を支えてきた共助のシステムの上に成り立ってきた。そのことを思う時、今度は寺院がその担い手となってきた伝統的なものを通じ、地域社会に恩返しをする役割を果たすべきではないかと考えるのである。

実際、そうした取り組みをしている聖職者の例も折々に耳にするが、さらに日本仏教全体として、文化伝統の継承という巨視的視点からの研究と実験的試みを考えてもよいのではなかろうか。

今、米国に始まった金融不安が地球上に大きな危機をもたらしている。国際的な規模で解決策が模索されている。だが、当面の危機はたとえ切り抜けられたとしても、格差社会のアメリカをモデルにした経済政策(オバマ次期大統領は格差是正を掲げているが)がグローバルな基準になり得るのかどうか大いに疑問である。

社会構造の変化の複雑さは言うまでもない。素朴な過去の伝統への回帰などという議論が成り立たないのは百も承知である。だが、科学文明の発達で利便性に満ちた生活が可能になった現代人も、その最も基本的な生存条件は、コンクリートを一枚はがした都市の地層と同じく、古代以来さほど変わっているわけではない。その人間の基本的生存条件と深く折り合って形成されてきた社会の伝統は、顧みるに値する何かをわれわれに教えてくれるはずである。

とりわけ、仏教寺院を護る立場からは、こうした素朴な問いを社会に投げかけ、顧みるべき価値に生命力を賦与するため努力する姿勢が要請されているのではないか。華やかな現代社会の案外脆い構造を考える時、あらためて宗教者の使命の重さを思うのである。