ニュース画像
参列者が念仏を称える中、伊藤門主は1292霊の法名が記された御回向帳を1枚ずつ手繰った
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「非核三原則」と原子力空母配備

2008年10月18日付 中外日報(社説)

強い危惧をぬぐえない。米国の原子力空母「ジョージ・ワシントン」(以下GW)の横須賀配備である。二〇〇五年に日米両政府が合意して以降、日本の国是の「非核三原則」(核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)と関連付けた報道は、ほとんど見られなかった。また、その視点からの反対運動も盛り上がりを欠いたまま先月下旬、母港となる米海軍横須賀基地(神奈川県)に入港した。米軍再編の一環だが、原子力空母の日本配備は初めてだ。唯一の被爆国として「核」にはもう少し神経質であってほしい。

報道によるとGWが搭載する原子炉二基の出力は美浜原発1号機(一〇三万一千キロワット)に匹敵し、全長三三三メートルは東京タワーの高さとほぼ同じである。約八十機の戦闘機を積み、燃料補給はほとんど不要。高い作戦能力と機動性を誇り、GW一隻の配備によって西太平洋からアフリカ東海岸までを担当区域とする米第七艦隊(司令部・横須賀基地)の能力は格段に向上するという。

しかし、平和を願う市民の関心は軍事能力にあるのではない。歴史をたどると一九七四年、米海軍のラロック元提督が「核兵器を積める米軍艦船は、どこかの港に入港する際に核を取り外すことはない」と証言し「非核三原則」の三番目の原則との整合性をめぐり論争が起きた。米国の故・ライシャワー元駐日大使も八一年、日本の新聞記者の取材に「日米間の了解のもと、米海軍の艦船は核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」と発言し、九九年にそれを裏付ける通信記録が米国の外交文書から見つかった。

ラロック証言の翌七五年三月、神戸市が市議会の決議に基づき神戸港に入港する艦船に核兵器を積んでいないという証明書の提示を求めた。「非核神戸方式」である。それ以前はたびたび米軍艦船が神戸港に入港していたのに、同方式実施後は一隻も入らなくなった。その後「国の安全保障にかかわることに自治体が関与すべきでない」と、外務省などから同方式の撤廃を求められているという報道があったが、状況は今も変わっていないようだ。

米軍は核兵器積載の有無を肯定も否定もしない。つまり積んでいないことも軍事機密で、神戸港への入港ストップが直ちに核積載を意味するわけではない。日本政府も「米国から事前協議の要請がない」ことを理由に核持ち込みを否定し続けている。

しかし、情報が公開されない限り不信感が消えることはない。まして原子力空母となると、不安を持たない方がおかしい。

核保有問題で複雑な立場にある北朝鮮や中国、インド、パキスタンなど核保有国が集中する区域に投入する米海軍自慢の空母である。核兵器を積んでいないとは考えにくいという意見に耳を傾けたくなる。米国は核抑止力を重視し、核先制攻撃も辞さないという国柄である。

懸念されるのは、日本の世論の動向だ。海外のみならず、昨今は国内でも一部で「非核三原則」に集約される核兵器への拒否反応を「核アレルギー」と軽侮する声もあるようだ。被爆の実相を知る国民として「核アレルギー」はむしろ健全な感性の表われだと思う。しかし、GWの配備についてマスメディアは放射能漏れの危険性は論じても、肝心の「非核三原則」との関係に触れない。

一部の全国紙は「日本の平和と安全を守るための抑止力が強化される」と、歓迎ムードさえ示しているほどだ。核廃絶に力を入れる宗教界からも目立った動きは聞かない。

「本日、ここ広島の地であらためて我が国が今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和に向けて国際社会の先頭に立っていくことを誓う」――今年の広島原爆忌での福田康夫首相(当時)のあいさつ要旨だ。核積載の有無さえ確認できない"物騒な代物"が足元にいては、むなしく聞こえないだろうか。

宗教界も無関係ではない。むしろ積極的な主張をすべき問題である。