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農耕民族観念の呪縛から脱却を

2008年9月30日付 中外日報(社説)

「不耕起(ふこうき)直播(じきまき)農法を知っていますか」と声をかけてくれたのは、東京で子どもたちに自然に親しむ喜びを教えている「メダカのがっこう」理事長・中村陽子さんだった。「化学肥料と農薬に頼る米作は、自然を破壊し、農地の命を奪い去ります。耕さず、農薬や肥料を使わず、除草もしない。稲の持つ生命力を自然のままに生かす。その農法を提唱したのが、福岡正信さんでした」

愛媛県伊予市で「晴れたら晴れ仕事、降られたら雨降り仕事」に徹した農民、福岡さんは八月十六日、九十五歳の人生を終えた。その生涯は日本農業に大きな示唆を与えた。

岐阜高等農林学校(現・岐阜大学応用生物科学部)に学んだ福岡さんは、横浜税関で植物検疫の仕事をするうち胸を病み、入院。療養中に「この世には、人間が思いわずらうことは何もない」と悟った。退院後、高知県農業試験場を経て伊予市に帰郷、独自の農業に打ち込んだ。戦後間もないころだった。

福岡さんが目指したのは"ほったらかしの農業"ではない。モミを直まきし、本来備わっている生命力を尊重、最小限の手助けで成育させることだ。自然のバランスが働けば土はおのずから軟らかくなり、農薬や除草剤を使う必要もない。「自然は完ぺきである」が福岡さんの哲学だ。

発展途上国の荒れ地や砂漠を緑化するために、粘土に植物の種を埋め込んだ粘土団子を考案、マグサイサイ賞やインド最高栄誉賞などを受けている。

福岡さんと同じような自然観を、畜産の場で生かした人々がいた。広島大学名誉教授(生物生産学部)の三谷克之輔さんが、東京・地湧社のPR誌『湧』にその数例を紹介している。北海道の斎藤晶さんは戦後、傾斜地に入植して開拓に苦労した。しかし、牛を放牧すると灌木やササを食べてくれるので、あとには牧草の育ちやすいシバ型の短い草地が生まれた。牛ふんには種子が交じり、蹄(ひずめ)でその種を土中に踏み込むことで、播種と施肥と覆土鎮圧を同時に進めることができた。

山口県の山本喜行さんは三〇ヘクタールの山林と一・五ヘクタールの棚田に、十頭の和牛を入れた。牛たちは草を食べることで山林の下草刈りをしてくれ、里山の美しさをよみがえらせる効果を挙げた。かつての日本の農村の縮図さながら、観光牧場のような景観となった。

三谷さんは今、地域の人と人、農村と都市の人と人を牛で結ぶネットワークづくりを模索している。

「耕して、播種、除草して収穫を得るのが農業だという固定観念が、水田耕作を中心にした農耕民族である私たちを強く呪縛しています」と三谷名誉教授は強調する。

昨年八月二日付の本欄で紹介した山梨県北杜(ほくと)市の「五風十雨農場」は、福岡さんや三谷さんの提唱を実地に生かしたものだ。減反政策で耕作放棄された荒れ地を入手した農場主の向山邦史さんは、手が付けられないほど茂った灌木のやぶに、牛二頭と、数頭の山羊や羊を入れた。大きな植物は牛が、背の低い植物は山羊と羊が食べ、ひとりでに農耕に適した土地が生まれた。

刈り入れ間近い稲田のそばで向山さんは「実は私は植え付け前に、一度だけ田んぼを耕したので、福岡さんの不耕起農業に外れているかもしれない。しかし無肥料、無農薬は貫きました」と語っている。

もう一度、三谷さんの言葉に耳を傾けよう。「経済と環境と生活の関係は、どれかを向上させればどれかが犠牲になってもよい、というものではありません。環境と生活は少々犠牲にしても経済成長を優先すると考えている限り、自然と人、人と人の関係はズタズタに引き裂かれていくばかりです」。反響の広がりを期待したい。