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鎌倉五山文学の寺に新たな息吹

2008年9月18日付 中外日報(社説)

・人生を笑い飛ばして去っていく……わけにもいかず草引いている

歌人和尚として有名な大下一真氏(『まひる野』編集室担当)は神奈川県鎌倉市二階堂・臨済宗円覚寺派瑞泉寺第二十九世住職である。このほど還暦を記念して出版した歌集『即今』には、鎌倉の市街地の東方の緑濃い山中の禅寺生活を詠んだ短歌四二二首、長歌四首が収められている。本人は「山中の小庵です」と謙遜するが、境内地の山林は六万坪、伽藍の周りの平地だけでも三千坪という大刹である。

"鎌倉十刹"で夢窓国師を開山とするこの寺は「花の寺」としても有名だが、春と夏は草が伸び、秋と冬は落ち葉に埋まる。自然との共生も大変である。

・鎌倉市二階堂紅葉ケ谷瑞泉寺住職落葉に埋もれしという

一真氏は静岡県の伊豆に生まれ、高校生のころから短歌を詠み始めた。周りに『まひる野』の同人や会員が多く、ごく自然に入会した。同県三島市出身の大岡信氏の父で、歌人の博氏の影響もあった。

・霙やみし窪田家奥津城に黄の薔薇の二輪を挿して礼(いや)深くなす

『まひる野』は窪田空穂氏が創刊、子息の章一郎氏が後を継ぎ発展させた。父子の墓は東京・雑司ヶ谷の墓地にある。

終戦直後、国語改革の主導者を務めた土岐善麿氏が客分だった関係から『まひる野』には現代かなづかいで詠む人が多い。戦後生まれで"新かな世代"の一真氏も新かなを使ってきた。今回の歌集『即今』は『存在』『掃葉』『足下』に続く第四歌集である。第三歌集の『足下』は平成十七年に第三十二回日本歌人クラブ賞に輝いた。

・幼子を亡くしし母が墓参終え山茶花の花を見上げて長し

瑞泉寺は鎌倉五山文学の拠点として栄えた寺で、戦前までは檀家を持たなかった。戦後、先代の豊道和尚が復員して来た時、旧海軍軍人の戦没者の遺族が、遺骨を納める墓地がなくて困っていると聞き、境内の一部を提供したことから檀家ができ、現在は墓碑六百墓を数える。境内への埋葬第一号は、作家の久米正雄氏である。有名人では歌人の吉野秀雄氏をはじめ、産業スパイ小説『黒の試走車』の著者で、週刊誌ジャーナリズム先駆の一人として活躍した梶山季之氏もここに眠っている。

・一編の詩を生(な)すごとく戒名に苦吟す紅葉明かりの部屋に

いま瑞泉寺では、一年に三十件前後の葬儀が営まれる。戒名のつけ方が、やさしいようでむずかしい。季節になぞらえ、故人の業績を考えながら、俗名の一字も入れたい……。「納得する戒名が決まるまでには、漢詩一編を詠むほど苦しむことがあります」

・口ごもり「ちょっと、とっと」と呼びくるる逝きて永遠(とわ)なる方代(ほうだい)の声

豊道和尚の時代に、貧窮の中でしぶとく短歌を詠み続けた型破りの歌人、山崎方代氏が寺に出入りしていた。豊道和尚はその都度、小遣い銭を与え、方代氏も感謝したという。

その縁で一真氏は、方代氏の残した短歌を歌人の目で読み直し、その成果を先年、短歌新聞社から『山崎方代のうた』と題して出版した。天衣無縫の"方代短歌"には多くの研究書があるが、方代の実像を間近に見つめた一真氏の著書は高く評価されている。

『即今』の巻末には、瑞泉寺が税務署の調査を受けた時の様子を詠んだ長歌がある。長さの都合でここには紹介できないが、一真氏が堂々と調査に応じ、税務署員は出された菓子に手もつけず厳正な態度を貫いた様子がユーモラスにつづられている。

鎌倉五山文学を支えた歴史を持つ瑞泉寺が、歌人の一真氏によって新たな文学の寺となった。今後を注目したい。