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ルーツをたどれば多民族国家の日本

2008年9月13日付 中外日報(社説)

一九八〇年代の日本は、米国の社会学者の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という著作がベストセラーだったように経済の絶頂期だった。米国の土地を買いあさり、なりふり構わぬ海外での経済活動は「エコノミックアニマル」という流行語を生んだ。日本の教育水準の高さは「単一民族国家だから」と政治家が放言して批判されたこともある。「日本異質論」が登場するなど日本人論が盛んな時代でもあった。

当時の日本批判の一因に在日韓国・朝鮮人の人権に冷淡であったり、外国人労働者や難民の受け入れに消極的だったことが挙げられる。日本人の精神風土に潜む根強い排他性を見直そうと「内なる国際化」という言葉を筆者もよく使っていたことを思い出す。

「日本は、北方(大陸)や南方から渡来したさまざまな民族が融合してできた国。もともと日本人の遺伝子には多民族の血が混ざり合っているはず」。作家の陳舜臣さんから、そんな趣旨の話を聞いたのは八〇年代の終わりごろだ。陳さんの話は、民族の同一性にこだわる国の繁栄は長く続かないという歴史の経験則に照らし、世界を凌ぐ成長を遂げた日本は例外的な国なのかという文脈だったと記憶する。つまり「日本はルーツをたどると多民族国家」というわけで、排他的な国民性と対比して新鮮に響いたものだ。

以来約二十年を経て、近年「多文化共生」という新たな流行語が抵抗感もなく受け入れられている。地球上に住むすべての人々の尊厳を互いに認め合い、共存しようというニュアンスが込められている。官民を問わずその活動に積極的なのは異文化理解の必要性と、もう一つは少子高齢化が進み、グローバル化と相まって外国人労働者の受け入れ圧力が国の内外で強まっているからだろう。

かつての「内なる国際化」の現代版のようだが、筆者はある民間団体の「多文化共生」活動にかかわって、状況は当時より複雑化していることを実感している。例えば中国との付き合い方の問題だ。

北京五輪に表われた中国国民の熱狂的な愛国心の高揚に違和感を持つ報道が多かったようだが、それには中国の屈辱の歴史を思いやることも必要だ。むしろ筆者は「多文化共生」に熱心な日本の民間団体が、歴史問題から中国に対して過度にナイーブになりがちなことを懸念している。

「多文化共生」の重要な要素の一つは宗教だ。中国はチベットを含め五十六の民族からなる多民族国家だが、報道によると、その多様さが本来の形で五輪に表現されず、特に宗教に対して厳しい規制が行なわれたという。多文化共生社会は、互いに違いはあっても慎み譲り合う寛容さがなければ成り立たない。大国化し、自信を回復した中国の民衆と今後向き合っていくためには、その等身大の姿を見据えておかないと挫折感と失望を味わいかねないと思う。

もう一つ、今年はブラジル移民百年だが「多文化共生」を訴える人々でさえほとんど関心を示さない。戦前戦後を通し二十五万人の日本人が移住したブラジルでは、百五十万人の日系人社会が形成されていると聞く。この二十年で多くの人が日本に還流し、在日日系ブラジル人は現在約三十万人に上る。しかし、彼らが話題になるのは多くの場合「治安の悪化」という偏見からだ。

「日系人は、日本人が外国人を理解する窓」「貧しさゆえにかつて多くの移民を送り出してきた日本の近代史を知らずして、どうして外国人労働者問題を語れるのか」――ある月刊誌に投稿された在ブラジルの日本人ジャーナリストの文章を読んで、足元の問題に不明だったことを思い知らされた。

いずれにしても「多文化共生」を一時の「はやり」に終わらせてはいけない。「ルーツをたどると多民族国家」であるならば、将来に向けて予想される異文化・異民族との摩擦を乗り越えるしたたかさと度量を日本人は備えているはずである。