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セミの声に思う動植物のいのち

2008年8月28日付 中外日報(社説)

「キョウチクトウの花咲けば/あの日の青い空の色/キョウチクトウの花咲けば/セミの声にも思い出す/あの日のサイレン 街の音」

この短い詩は、戦後広島で活躍した詩人・伊藤眞理子さんの作品である。いま東京在住の伊藤さんは、広島で原爆死没者を追悼し、平和を希求する作品を数多く発表した。その中の『心のひろしま・あしたきらきら』=上下二巻=は、画家の山崎盛夫さんとともに、広島市内に立つさまざまな死没者慰霊碑を歴訪して作り上げた、美しい詩画集である。

詩画集とは別に作ったこの短い詩には「あの日市内で鳴いていたセミたちはどうなったのだろう」との思いがこもっている。

「かの夏をポプラ並木にかしましく鳴きゐし蝉の被爆塚いづこ」。本欄で紹介したことのある広島県呉市在住の歌人・梶山雅子さんの一首である。伊藤さんと同様に、人間とともに被爆して命を失った動植物を、セミに代表させながら思いやっている。

歌仲間に言わせると梶山さんは動物好きで、自宅の庭に来る雀が何を求めているかを、その鳴き声によって聞き分けることができるそうだ。

この夏休み中に、全国の小・中学校の先生が、梶山さんを訪ねて来た。平和学習を兼ねた秋の修学旅行の際に、梶山さんの被爆体験談を生徒に聞かせたいと言い、その打ち合わせのためである。そのたびに、爆心地に近い平和公園を歩く。園内の木々は、セミしぐれだ。あの日鳴いていたセミたちには被爆塚さえない。梶山さんの、安芸門徒らしい心情である。

わたくしごとであるが、筆者は今年八月六日の広島の原爆の日に、母校である高等学校の同窓会に招かれた。被爆当時は旧制中学校であったが、その教室内にいて、古い校舎がどのようにして倒れ、焼け失せたかを話してほしいという注文である。

その集いに先立って、校門横の死没者慰霊碑前で追悼祭が営まれた。広島市在住の卒業生、新藤泰久さん(75)と並んで着席した。新藤さんから、次のような意見を聞かされた。

「原爆では、人間だけでなく、おびただしい動植物が命を奪われた。それらの動植物のために慰霊碑を建てることはできないだろうか」と。「セミの被爆塚」を詠んだ梶山さんと、全く同じ境地だ。新藤さんも、安芸門徒である。

新藤さんのこの提唱は、以前からの持論であり、先ごろ、秋葉忠利・広島市長が「市民球場の跡地をどう活用するか」についての市民集会を開いた時にも同じ訴えをした。

原爆ドームのすぐ北にある広島市民球場は、来シーズンから市の東部へ新築移転することになっており、その跡地に何を造るかが関心を呼んでいる。新藤さんはその一隅を、生きとし生けるものすべてを追悼する場として活用すべきだ、と提案した。市長は「検討します」と答えた。

だが、政府や地方公共団体が宗教性の絡む動きをすることに対しては、政教分離の立場から問題点が指摘される。八月十五日の全国戦没者追悼式で河野洋平・衆院議長が追悼の辞の中で「政府の手で無宗教の新たな戦没者追悼施設の建設を」と述べたことに対しても、さまざまな意見が出ている。反対論の中には「新たな宗教性の出現が心配だ」との意見もある。動植物の追悼施設についても、広島市主体で推進することの可否が論議される可能性は否定できまい。

動植物の死を悼むことは宗教者を中心に進めるべきではないだろうか。すべてのものに仏性を認めようとする宗教宗派を中心に、追悼慰霊の儀式を営むことはできないものか。慰霊碑の建立がすぐには実現しない場合、セミしぐれのかしましい木の下に集ってもよいのではないか。