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恵まれた自然に恐るべき一面も

2008年8月26日付 中外日報(社説)

山好きの人が首都圏から関西へ転勤して感動するのは、市街地から直接登れる山が多いということだ。東京からだと、尾瀬でも奥多摩でも、日帰り登山はむずかしい。関西なら比叡山でも生駒山でも、昼すぎからふらりと登って、半日コースを楽しむことも不可能ではない。

その中でも兵庫県の六甲山系は、西の神戸市須磨区・鉢伏山から東の宝塚市・塩尾寺(えんぺいじ)までの縦走コース全体が、神戸市や周辺都市の"裏山"となっている。釈尊の母・摩耶夫人の名にちなむ摩耶山や、弘法大師空海が再び日本に帰ることのできた喜びをこめて修法したとされる再度(ふたたび)山など、ゆかしい名の峰々が続く。沿道には布袋谷、心経岩、極楽谷、毘沙門橋などの地名もある。

どこからでも登れるのが六甲山系のよいところだ。谷筋にも尾根筋にも、先人の踏み固めた登山道が通じている。公園の遊歩道のようなコースもあれば、熟練者が冷や汗を流すような難路もあり、バラエティーに富んでいる。西寄りの「須磨アルプス」は別名「馬の背」と呼ばれる痩せ尾根が連なり、標高わずか二百メートル余りなのに、本格的な山での縦走気分を味わうことができる。

町内会によっては「毎朝登山会」が組織され、頂上近い茶店などに備え付けた出席簿に印を押すところがある。出席印を連ねた人々は、間違ってもメタボ検診で引っかかることはないだろう。

これほどまでに市民に親しまれた六甲山系も、いったん豪雨が降れば、たちまち表情を変える。山が近いということは、川筋が短いということだ。しかも六甲の山々は、吸水性の乏しい花崗岩で形成されている。"鉄砲水"が起こりやすい地形だ。七月二十八日に、神戸市灘区を流れる都賀川で、子どもを含む五人が一瞬のうちに流され、命を失ったのは、こうした事情からだ。普通の河川なら徐々に増水するが、六甲の川は瞬時に水位が上がる。

昭和十三年七月の阪神大水害では、三日間にわたって四〇〇ミリから六〇〇ミリもの雨が降り続き、芦屋川、石屋川、住吉川などが氾濫して市街地を水浸しにし、多くの犠牲者を出した。その時の経過は、谷崎潤一郎の『細雪』の一節に生々しく描かれている。

これ以後、六甲山系では各河川ごとに防災のためのダムが建設された。しかしその多くは、水を防ぐというより、土砂崩壊を防ぐための砂防ダムだった。地形上、こうしたダム造りはやむを得ないともいえるだろう。筆者の個人的な体験では、ある谷筋を単独行で登り詰め、もう一歩で頂上に出るところに、新設されたダムが立ちはだかっていたため、やむなく難路を引き返したことがある。

さて、先述した七月二十八日、神戸市東灘区に住むAさんは、隣接する芦屋市内で開かれた、六甲の砂防問題をテーマとするフォーラムに出席した。阪神大水害七十周年を期して開かれたもので、討議が進められている間、窓の外は豪雨と雷鳴がすさまじかった。終わるころ雨はやみ、薄日が差し始めたが、帰宅する途中のカーラジオで、Aさんは都賀川の悲劇を知り、暗然とさせられた。

「神戸地方の市民は、空襲を受け、阪神・淡路大震災に遭うなどの経験を重ねているはずだが、七十年前の水害の記憶はやや薄らいでいたのかもしれない。川筋が直線化され、底がコンクリートで固められていたことが事故を大きくしてしまった。砂防フォーラムを開いて大水害を語り伝えようとする姿勢が、一部の市民だけにとどまっていたのではないだろうか」とAさんは悔やむ。

油断大敵の「油断」は涅槃経に基づく言葉で、蓮如上人の遺訓にもあるとか。自然の恵みに慣れて、その恐ろしい一面への警戒心を忘れないようにしたい。