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宗教報道のあり方

2008年8月23日付 中外日報(社説)

「イエスの方舟」事件が世間を騒がせたのは、もはや四半世紀以上前のことになる。千石剛賢(故人)氏が主宰する聖書研究会に集まった信者たちが、家族から離れ千石氏のもとで共同生活を始めたが、信者に若い女性が多かったことからマスコミがセンセーショナルに報道した。『サンデー毎日』一誌を除き、ほとんどのメディアが批判の矛先をそろえた形で、同誌の孤軍奮闘ぶりが最も印象に残る事件だった。

一連の騒動が静まった後、千石氏は福岡の中洲でクラブを開き、氏のもとにとどまった信者たちがそこで働いている、ということが話題になった。筆者は訪れたことはないが、宗教学者らも「イエスの方舟」のその後について関心はあったようで、その店に行った何人かの研究者の話を聞いたことがある。

「イエスの方舟」と千石氏に対する評価は今も人によって異なるだろう。ただ、三十年近い時を隔てて顧みるならば、当時のマスコミや世間の反応が異常だった、ということだけはいえる。

「イエスの方舟」事件は世間の交わりから隔離された集団に対する社会の不安とか、家を離れ信仰の共同体に入った者に対する家族の反応など、「宗教」そのものに共通する問題を含んでいた。その後も、こうした問題にかかわる事例がマスメディアで報じられてきたが、"カルト"的と目された宗教集団に関する報道には「イエスの方舟」事件の経験が反映し、多少なりとも慎重な姿勢がうかがえるようにも思われる(しばしば、例外はあるが)。

いずれにしても、世間の評価が定まっていない宗教団体がかかわってくる出来事、イベントなどの報道は、一般のメディアにとっては難しいだろう。バランスや見識を欠いた記事が信教の自由に対する脅威になる恐れがある、というだけではない。逆に、客観的な事実の報道でさえ、時によっては違法な霊感商法を行なっているような宗教団体の"宣伝"に利用されることもあり得る。それを回避するために、報道に携わる者には常に自戒が求められる。

マスメディアだけではない。オウム真理教の一連の事件においては、オウム真理教について語った宗教研究者の責任が問われた。こうした特殊な事件では、価値中立的な学問研究という建前さえ必ずしも免罪符にはならないことを、われわれは知ったのである。

残念なことに、こうしたことの結果として一般の人々は、その種の問題をかかえる宗教団体については、教団の護教的文書以外には、犯罪など事件にかかわる報道や明確な批判的立場からの文章しか目にすることはできなくなった。

ただ、何事にも例外はあって、新聞や雑誌では編集局が記事にすることを避けるものでも、広告ならOKという傾向は見られるようだ。例えば、「法の華三法行」の出版広告が、平成十二年に教祖ら教団関係者が逮捕される少し前まで、盛んに新聞・雑誌を賑わしていたことなどが思い起こされる。

むろん、広告掲載についてはそれぞれ倫理基準を持っているから、媒体の側が拒否するケースもあるが、横並びで他のメディアにも載ることが分かっていれば、判断は多少変わってくるかもしれない。その場合、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった倫理感覚のまひが起こるようだと困りものである。冒頭に挙げた、「イエスの方舟」バッシングともある意味では共通した問題がそこに生まれてくるだろう。

宗教専門紙でも当然、そうした危険はつきまとう。あらためて、社会の公器としての責任の自覚を深めたいと思う。