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仙界の住人となった後漢時代の大官の話

2008年7月24日付 中外日報(社説)

二世紀の中国、後漢時代の劉寛は、官僚としての最高職である三公の司徒や太尉にまで昇りつめたほどの大官であったが、「温仁にして多恕(おだやかで優しく、思いやり深い)」と評されるように、すこぶる人情味にあふれた人物だった。

部下が何か過ちを犯して罰を加えなければならなくなった場合でも、革の鞭は使わず、蒲(がま)の鞭でそっとなでるように打つだけであったとか、『後漢書』の劉寛伝にはそのようなたぐいの事柄がいろいろと伝えられているのだが、とりわけ有名なのは次のエピソードである。

――宴会の席で、ある一人の客が下僕に命じて酒を買わせにやったところ、随分と時間がたってから、しこたま酔っぱらって戻ってきた。客が「この畜生め」と罵ると、劉寛はさっそく下僕の様子を見にやらせた。そしてこう言った。「やつだって人間だ。それが畜生と罵られた。これ以上の恥辱はあるまい。だからわしは、やつが自殺するのではないかと恐れたのだ」

仮に「下僕」と訳したものの原語は「蒼頭」であって、奴隷身分の者を意味する言葉である。

ところでこのエピソード、いくらか形を変えて、五六世紀の陶弘景の編纂にかかる道教文献の『真誥(しんこう)』、その稽神枢(けいしんすう)と題された篇にも見えるのだが、それでは「蒼頭」に代えてより直接に奴隷を意味する「奴」の言葉が用いられ、また奴を罵ったのは劉寛自身であったとされ、次のようにある。

――天子から酒を賜わった時のこと、劉寛は床にうつぶせて眠ってしまった。その訳を問われると、こう答えた。「朝方に奴を市場へ野菜を買いにやらせましたところ、奴は金をくすねて酒を飲み、夕暮れになってやっと戻ってきましたが、奥座敷で寝てしまい、おまけに野菜を手にすることができません。奴が酔いから醒めると、『くたばり犬め』と罵り、罵り終えると、すぐに束帯して参内しました。奴が後になって自殺するのではないかと心配になり、それでそのことが気にかかって、ついうっかりうとうとと眠ってしまったのです。どうか哀れみをおかけくださいますように」

そして『真誥』の伝えるところによると、この劉寛、今では童初府の帥上侯を務めているという。童初府とは何かといえば、当時の都の建康、すなわち現在の南京市の東南に位置する道教の聖地の茅山(ぼうざん)の地下には華陽洞天と呼ばれる仙界が広がっているのだと想定され、その華陽洞天に存在する仙人候補者の教育機関のことなのだ。かく劉寛が仙界の住人となった訳は次のように語られている。

――七十三歳のある朝のこと、寝室に降臨した仙人の青谷(せいこく)先生から杖解の法を授けられ、連れられて太華山に入って九息服気法を行なった。また炉火丹方を授けられ、それを実習して仙道が成就した。今は洞天中にあって童初府の帥上侯となり、仙道学習の初学者たちを監督している。

「杖解の法」とは尸解(しかい)と呼ばれる仙去の一法。ひとまず通常一般の死となんら変わりのない死を遂げた上、脱けがらの肉体を後に残して仙去するというのが尸解であり、その際、自らの肉体を他の何物かに託すのだと考えられたのであって、竹杖に託して尸解するのが「杖解」と呼ばれたのであった。また「九息服気法」は呼吸術、「炉火丹方」は煉丹術のことである。

奴隷身分の者にもやさしく心を使った劉寛。かくして彼は、道教において最高の存在とされていた仙人になることができたのであった。

『老君音誦誡経』なる道教経典にも道教の信者を次のように戒めた一条が見いだされる。「家に奴婢有れば、奴婢と喚(よ)ぶを得ず、当(まさ)に字(あざな)を呼ぶべし。若(も)し過ち事有るも、縦横に(でたらめに)撲打するを得ず」