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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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不幸を生かせる社会を目指して

2008年7月17日付 中外日報(社説)

「災害救援学」という講座が関西学院大学(兵庫県西宮市)に開設されたのは、阪神・淡路大震災から十年後の平成十七年だった。震災の現場にさまざまな立場でかかわった人々を学外講師に、災害復興や被災者支援のあり方を深く掘り下げる新たな試みだった。講座はこの七月で足掛け四年間の講義日程が終了し、講座をコーディネートしてきた野田正彰教授(精神病理学)は最終講義で「不幸を通して社会のありようを考え、不幸を意味のあるものにしていく」ことこそが「災害救援学」の目指すもの、と締めくくった。その思想を将来にわたって広く共有していきたい。学生と並んで講義に耳を傾けながら、そんな思いを強く持った。

同講座は、ある新聞社が野田教授に依頼し、全学共通で市民にも開放された公開講座として始まった。「震災とジャーナリズム」「震災と人間」「震災と宗教」「震災と住居」などをテーマに記者や震災ボランティア、宗教家らを招き、"生きた講義"が続けられた。最終年度の今年は「震災と芸術」など二つのテーマで計十二回の講義が行なわれた。

野田教授は阪神・淡路大震災の現場で長期間、被災者に寄り添うように心の傷と向き合い、災害時の精神的なケアの重要さを説き続けてきた。その努力が震災後、心のケアが注目される一つの要因になった。

災害は常に突然襲いかかり、社会に強い衝撃を与える。その直後は被災者と社会の連帯意識が働くが、その期間は短く、やがて格差が顕在化し、徐々に社会の関心も薄れて、被災地は停滞期に入っていく。野田教授は、災害後の社会はすべてそんな経緯をたどると説明し、これまでの講義を踏まえて阪神・淡路大震災では特に「心に傷を負った人々、一番困っている人々に援助の手が差し伸べられるべきだったのに、そうはならなかった」と批判的に総括した。そのぬくもりの乏しさは、ワーキングプアに象徴される労働の格差や犯罪に対する厳罰主義など昨今の「冷たい社会」と無関係ではないとの考えを述べた。

一方で震災後、政府や自治体が都市づくりなどで「安心と安全」をスローガンに掲げることが多くなった。しかし、野田教授は安心と安全という全く異質な概念を深く考えず、ごっちゃに扱う安易なスローガンは「許せない」と強く否定した。

安心は、仏教各派でいう「安心決定」あるいは「安心立命」に見るように人それぞれの心の領域に属することであって本来、公的機関が上から保障する筋合いのものではない。個人を飛び越えて社会が安心することは、そもそもあり得ないことである。

また、安全について野田教授は、ヒトラー暗殺計画に加わり処刑されたドイツの神学者、ボンヘッファー博士の「安全を求めることは、誰かに不信感を持っていることの表われ」「安全を求める限り平和はない」などの言葉を例に挙げた。その上で「問題は信頼性を共有できているかどうかにある」として、震災と震災後の社会でむしろ不安と不信感が高まっている状況への強い懸念を語った。

「安心と安全」スローガンは、誰が人々から安心を奪い、安全でなくしているのかを見えなくしてもいるのだ。

最終講義は、十人余の市民も聴講した。中には四年間続けて受講したシニア女性もいた。親戚が被災したと言い「いろいろな人の話が聴けて講義が楽しみでした」と、講座の終了を惜しんでいた。

過去、数々の災害で多くの人々が不幸を背負ってきた。しかし、その不幸は人が幸せに暮らせる社会づくりに充分生かされてきたとはとても思えない。野田教授は「災害後の社会がどう変わっていくのか。また災害救援と社会との関係などをこれからも深く研究していく」と話していた。「阪神・淡路」以後の被災地でなお課題を残す地域もある。この講座の精神が今後、どう生かされるかを期待したい。