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用語論争だけでは済まぬ集落の危機

2008年7月1日付 中外日報(社説)

宮崎県が「限界集落」に代わる新しい呼称を公募しているそうだ。そこに暮らす住民の意欲を失わせ、社会に誤った認識を与えかねないからだという。「限界集落」は、もとは学術用語で六十五歳以上が半数を超え、共同体機能の維持が難しくなった地域をいう。

従って災害にも弱い。そんな過疎地が、今度は岩手・宮城内陸地震(六月十四日)に直撃された。以前この欄で、開発から取り残された人々を襲ったミャンマーのサイクロン災害、中国の四川省大地震を「対岸の火事視できない」と記したばかりだ。自然はむごいことを繰り返す。

死者・行方不明二十二人を数える今度の地震(M7・2)は、十五人が亡くなった昨年七月の新潟県中越沖地震(M6・8)より規模は大きかった。ただ、本紙(六月十七日付)によると、社寺の被害は中越沖地震ほどではなかったようだ。道路が寸断され、孤立する集落が多く出たことは共通するが、今回はより山あいの小集落に被害が偏ったこともあるのだろうか。戦後旧満州(中国東北部)から引き揚げてきた人々が、原生林を切り開いて開拓した地区もある。報道によると住民たちは避難のため山を下り、その後一時帰宅を認められた。手塩にかけて育てたイチゴの苗を抱える農民の姿は胸が痛む。一日も早い再興を願わずにはおれない。

ところでこの災害では、ボランティアの活動が以前ほどには見えないようだ。当初、一部被災地がボランティアの受け入れに積極的でなかったとも聞くが、災害が続く中、ボランティアへの関心自体が薄れているというようなことがなければ幸いだ。

中越沖地震の被害状況を伝えた昨年七月二十一日の本紙1面には「余震の中、僧侶ボランティア活動」の見出しで、被災寺院の支援に駆けつけた僧侶が、地域の住民に炊き出しをしたという記事が載っていたが、山間の過疎地の場合は事情が違うのだろうか。

過疎地の集落について、国土交通省の調査報告(平成十八年)に気の滅入る記述がある。

「今後十年以内に消滅する恐れがあると予測されるのは四百二十三集落、いずれ消滅する恐れのあるものと合わせると二千六百四十三集落」「前回調査時(同十一年)から現在までに百九十一集落が消滅した。うち八十八集落は前回調査時には消滅が予測されていなかった。これらの大部分は自然消滅」(要約)。

過疎地の地域共同体の崩壊は、想像以上に早く進んでいるということだ。今回の地震も含め、相次ぐ災害がそれに拍車をかけているのだろう。

平成七年の阪神・淡路大震災では、被災地とそれ以外の地域との「温度差」に随分戸惑った苦い記憶が筆者にはある。この時は人災的要素から、死なずに済んだはずの人まで助けられなかったという思いもある。

しかし、被災者の痛みは全国的になかなか共有できなかった。その「温度差」は震災発生時からあり、今も続いている。歴史に残る大都市直下型地震でさえそうだから、名も知られていない地方の小集落の受難はなおさらのことだろう。しかし、そこに住む人たちにはかけがえのない古里なのである。

岩手・宮城内陸地震で「極めて危険な場所にある集落には集団移転を促すなど総合的な防災対策を講じるべきだ」という意見も聞く。だが、集団移転を促す前にやるべきことはないのだろうか。

山間の集落が消滅すると日本の原風景である自然環境が荒廃し、山や田の保水力が失われて下流に渇水や水害をもたらす、と警告する専門家もいる。

「限界集落」の呼称を変えるだけでは困難な状況を改善できるとは思えない。檀信徒や崇敬者の減少に悩む寺社も無関係な問題ではないはずだ。