ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「対岸の火事」で済まされぬ災害

2008年5月24日付 中外日報(社説)

災害はなぜ、かくも弱い立場の人々を襲うのか。五月に入って立て続けに起こったミャンマー(ビルマ)のサイクロン被害と中国四川省の大地震である。ミャンマーの被災地イラワジ川下流地域は穀倉地帯だが、被災者の多くは無防備な農民だと伝えられる。この国は、もともと世界で最も貧しい国の一つだ。一方、中国では発展から取り残された内陸部のチベット族など少数民族が多く住む地域に被害が集中した。いずれも民主化が遅れ、人権への配慮が充分でないところだ。仏教となじみが深い国という共通点もあり、日本の仏教界も支援に乗り出した。人道的援助を通して、両国の被災者との心の絆が強く結ばれれば、と思う。

思い起こせば十三年前の阪神・淡路大震災でも、老朽家屋や低家賃だが耐震性の低い文化住宅などに住む人々、特にお年寄りが手ひどい目に遭った。災害に強いか弱いかは、国や地域の経済力とは関係なく、すべての人々一人一人の生活や生命の安全にどれほど注意が払われているか、言葉を変えればその社会の成熟度と深くかかわっているように思う。

阪神・淡路大震災は、経済大国日本の中でも比較的裕福と目される神戸・阪神間を直撃した。しかし、被災地で災害後の復旧・復興を見守った筆者には、経済発展とは裏腹な日本の社会の未成熟さを強く感じた。震災で家も財産も、職業も失って避難所生活を強いられた被災者の暮らしの再建は長引いた。生活の拠点から遠く引き離された仮設住宅で、多くのお年寄りが孤独死した。むごいとしか言いようがなかった。

社会的な弱者は、いったん生活基盤を破壊されると立ち直りも思うにまかせない。天災は避けられないにしても、その後の復興も含め、目を凝らすと必ず見えてくる人災的要素が顕著なほど、被災者の生活の再建も長引くものだ。「阪神・淡路大震災でそのことがよく分かった」という声を今も聞く。

四川省の大地震の現場で展開されている情景は、日本の震災の再現とも見える。「なぜ救えない いらだつ家族」「助け合い、命つなぐ」「情報もない、食料もない うめく避難所」……。災害発生から数日後の日本の新聞各紙の見出しである。阪神・淡路大震災でも同じような見出しが紙面を占めていたと記憶する。

報道によると、地震発生直後の中国政府の初動の遅れと、国際的な人的援助の要請遅れへの批判があるという。日本の国際緊急援助隊が各国に先がけ派遣されたが、時すでに遅く、生存者を救出できないまま無念の帰国をした。

しかし、今回の中国政府に対する二つの批判は阪神・淡路大震災でも出されていた。全国から駆けつけたボランティアの活動を調整するため「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」をつくった故・草地賢一さんの最初の仕事は、外務省の要請によるスイスの救助犬受け入れだった。ところが地元自治体の拒否反応に遭い、被災地で救助活動を始めるまで随分苦労したという。また、当時の大阪・神戸ドイツ総領事からも「震災五日目に特殊なセンサーで人を救出するチームを派遣したいと要請したが、断わられた」という話を聞いた。

ミャンマーのように政治的な理由で海外からの人的援助を制限するのは論外だが、日本も言葉の違いや宿泊施設の確保などの問題で当初、後ろ向きだったことは事実である。

繰り返しになるが、社会の成熟度によって被災者が受ける痛み、苦しみは違ってくる。その経験則に照らして、ミャンマーと四川省の被災者に今後のしかかる困難は、極めて厳しいものになるだろう。日本もそれは、まだまだ「対岸の火事」で済むものではない。宗教界を含め息の長い支援が望まれる。