ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「慈悲」の心なき行政とメディア

2008年5月15日付 中外日報(社説)

昨今の社会保障政策は、少し度の過ぎた"弱者たたき"のように思う。国も自治体も財源難から社会保障費の削減に躍起である。ある程度仕方ないとしても、見境なく切り捨てやすいところを狙っている感もあり、気が滅入るという声を聞く。頼みのマスメディアも突っ込み不足の感をぬぐえず、高度成長期に「責任者出て来い」の決めゼリフとずっこけで人気を博した人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才が懐かしく思い出される。

このほど、元新聞記者数人から近況を聞く機会があった。六十歳半ば前後の、それぞれ体のどこかに不安を持つ世代で、当然、医療に関心がある。その中の一人が、手にしていた某市の広報紙五月号を広げてこぼした。「本市国民健康保険による人間ドック助成は、今年三月で廃止した」というお知らせが小さく載っている。一部負担で済んだ人間ドック受診料が全額自己負担になったわけだ。時節柄、数万円の受診料が痛いこともあるが、憤りはほかにもあった。市民の生活と健康にかかわることをさりげなく広報紙の片隅に載せる市の行政感覚もさることながら、購読している新聞では、その決定を伝える記事を見ていないという。記者時代に「記事は生活者の目線で」を合言葉にしてきただけに、批判の矛先はメディアにも向く。

それをしおに、元記者たちの話題は、生活不安を誘う社会保障政策の後退や最近の社会情勢に移る。中でも憤まんの的は、先日この欄でも論評された「年寄りいじめ」の後期高齢者(長寿)医療だった。小泉純一郎政権時代の二年前に制度ができた時、その内容がお年寄りに「長生きするものではない」と嘆かせるほどひどいという報道は皆無だった。

だから「今になってメディアは厚生労働省の説明不足を非難するが、その前に記者の取材能力不足も反省しろ」「今の記者には庶民の生活実感が分かっていない」と批判が続く。記者クラブ制度に問題があるのでは、という意見も出た。

官邸や中央省庁、各自治体、捜査当局など公的機関を中心に全国で数百に上る記者クラブは、日本のメディア界独特の制度だ。戦前からの歴史を持ち、国家権力にメディアが結束して対抗するという一定の存在意義はあるが、個々の記者に自覚が欠けるとなれ合いを生む。その結果、当局の発表モノを無批判に報道する弊害も起こり得る。

つい最近、全額公費で医療を受けている生活保護受給者に半ば強制的に価格の安いジェネリック(後発)医薬品を使わせようと、厚労省が都道府県などに通知を出していたことを一部新聞が報道した。新薬と主成分が同じ後発医薬品は、医療費抑制のため普及を図ってもいいと思うが、生活保護世帯を狙い撃ちした酷薄さが目立つとの声もある。厚労省も報道の後で行き過ぎを認め、改めると表明したようだが、他のメディアではほとんど報道されなかった。

生活保護をめぐって市町村が一方的に給付を打ち切る事態が全国的に多発、昨年七月北九州市で給付を打ち切られた末の悲惨な孤独死もあった。給付水準切り下げの動きもある。問われているのは、弱い立場に立った人々の痛みへの無関心と社会的なぬくもりの喪失であろう。

「慈悲」の心が失われた社会の風景は、寒々としたものだ。後発医薬品問題もその文脈で考えるべき事例だったが、メディアの反応は鈍かった。

とはいえ、記者OBたちにも反省はある。「リタイアして初めて見えてきたことが多々あるなあ」。会話の終わりごろに出た言葉がそれである。先々の余生に浮かぶ今の不安感は、報道の第一線で働いている時にはそれほど痛切なものとは気付かなかったという思いがあったようだ。しかし、遅ればせながらも気づいたなら、その立場立場から発言しないといけないということが、その場の結論になった。

こういう問題について、宗教界はどのように考えるべきなのだろうか。