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「僧侶さん」から教化された少女

2008年5月8日付 中外日報(社説)

今年の二月から三月にかけて、読売新聞大阪本社版に「縁それぞれ」と題した連載記事が出た。家族制度が崩れつつある現代の葬祭事情を報じたものだ。その記事によると、約十年の間に直葬(ちょくそう)が増えたという。葬儀や告別式なしに、遺体を病院や自宅から火葬場に直送するものである。「費用を抑えるだけでなく、葬儀の段取りのわずらわしさもない」のが長所とされる。

首都圏や関西での直葬の比率は約一〇%。都内の一部では三〇%を超えているとか。葬祭業者や、導師である僧侶を抜きにして故人を送っている。

この連載に呼応するかのような読者の投稿が、三月半ばの朝日新聞に掲載された。知人の訃報を聞いて駆けつけた香川県の主婦の前で、導師の僧侶は「戒名は最低二十万円です」と喪主に告げたという。

「品物でもないのに、二十万円から、とはどういうことなのか。地獄のさたも金次第なのかと、ふと思ってしまった。(中略)一体いくらあれば三途の川を渡りきることができるのだろうか」とある。

それに共感した広島県の主婦が、同じ欄に意見を寄せた。「葬儀・告別式に参列するたびに、高額な関連費用を聞かされて、びっくりする。(中略)お金で戒名を買うような一部の風潮に私は疑問がある。一方で戒名代の中身がよく分からないし、納得がいく詳細な説明もない」

これらの報道や投稿から感じられるのは、一部の市民が、導師としての僧侶の存在理由を認知していないということだ。出家と在家の間での、財施に対する法施という関係が薄れ、本家の仏壇を中心に一族が寄り集う体制が消えてしまったわけである。その原因は、寺側にも檀家の側にもあるのではないか。

その半面で、次のような投稿もあった。四月上旬の毎日新聞の生活面である。長年疎遠にしていた一人暮らしの伯父が急逝した。大阪市在住の女性は、故人の妹である母ともども駆けつけ、最寄りの寺の住職に葬儀と供養を依頼した。住職は「生前、仏様はどんなお人柄でしたか」と質問したが、五十年前に会った記憶しかない。親戚から聞いた話などを伝えると、住職はこう言った。

「自分なりに人様に迷惑をかけない、強い精神の持ち主だったのでしょう。でなければ、八十代の今日まで生きてこられなかったと思いますよ」と言い、それにふさわしい戒名をつけてくれた。

「私は、そのお言葉に本当に救われた思いがしました。ご住職様、尊いお言葉ありがとうございました」と結んでいる。先に挙げた朝日新聞への二人の投稿者も、毎日新聞へのこの投稿者も、六十代前半の主婦である。

その数日後、同じ毎日新聞の一般投稿欄に、香川県の十七歳の女子高校生が、こんな意見を寄せていた。「先日ラジオで、ある僧侶さんの話を聞いた。僧侶さんは『日々の生活を当たり前と思っていないか』と問いかけられた」

高校生は「私はハッとした。まさに今送っている生活を当たり前と思っているからだ」と続ける。「私は僧侶さんが説いてくださった話を聞いたおかげで、考え方が少し変わった。当たり前なのでなく、多くの人に助けられて暮らしているのだ。一瞬一瞬の『当たり前の幸せ』を感謝の心をもって大切にしたい。同時に(中略)どうすればほかの人を少しでも助けられるのかを考えてみたい」

「僧侶さん」と表現している筆致からみて、この生徒はこれまで仏教にはほとんど無縁だったのだろう。「僧侶さん」はどんな口調で話しかけたのか。

最後の二つの投稿から、この世にはまだ法縁の種が尽きていないと感じる向きも多いはずだ。世の「僧侶さん」方に、さらなる教化活動を期待したい。